音楽でも聴きながらご覧下さい。(よくカラオケで歌います)
おはようございます鉄太郎です。
昨日の我が熊本は晴れ。午後からは西風が強く冷たかった。
朝、仕事場へ向かうときはまだ暗いが、帰宅時は日が段々と高くなってきた感じである。
本日は夜は仕事場近くで酒宴がある。(ほぼ毎日が酒宴である)
さて、本日のお話は「政府の報告書はどうして白書というのか」です。
経済白書や外交白書のように、政府各省が直面する課題と現状を研究・調査した報告書と提出したものを「白書」という。
別に白紙のまま提出したわけではないのに、なぜ「白書」というのだろう。
これはイギリスの呼び名がルーツ。イギリスでは、政府の公表する報告書の表紙が白いため、これを「ホワイト・ペーパー」と呼ぶらしい。
そこで、これをそのまま日本語に直訳して、日本で初めての公式調査報告書に「白書」と名付けた。
ちなみにイギリスには、イギリス議会と枢密院議会の報告書「ブルー・ブック」というものがある。これも、表紙が青いためにこう呼ばれるのだ。
日本で初めての白書は、1947年(昭和22年)の片山内閣当時に出された「経済白書」。
ただし、この時は表紙などに「白書」の文字はなく、「経済白書」という名前が初めて登場したのは1951年(昭和26年)のことである。1953年(昭和28年)からは、毎年、この書名で発表されるようになった。
本日は武田信玄の名言でもご紹介しましょう。
武田信玄と言えば、領土拡大を信濃に目をつけ上杉謙信と第4次川中島の合戦後の3年後に武田信玄は再び川中島に出陣する。対峙すること2カ月、両軍は戦闘を始めることなく撤退する。
その後、京へ向け織田信長と戦いを始めようとした矢先に武田信玄は病に倒れる。
そのとき病の床で武田信玄は息子の勝頼に語ったと言われる言葉が伝えられている。
「私は、大人げないことに最後まで上杉謙信に頼るということをしなかったため和議を結ばないままに終わった。
お前(武田勝頼)は必ず上杉謙信に敬意を表して頼りとするがよい。上杉謙信はそのように評価してよい人物である」...と。
本日は土曜日。本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」過ごして行きましょう。
本日も皆様に少しの幸せが訪れることをお祈りいたしております。
鉄太郎。