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おはようございます鉄太郎です。
昨日の我が熊本は朝は暖かくてコート要らずだったが、帰宅時は冷たい雨が降りやや寒かったので食堂にて熱燗3杯も飲んでしまった。
やはり、私は大酒飲みであるのは間違いなさそうです。
さて、本日のお話は「奥の手」の語源でもお話いたしましょう。
昔の右大臣に左大臣とではどちらが偉かったかご存知だろうか...?
現代の感覚すると、何となく右利きの人が多いので、右大臣の方が偉いように思われがち、実際は左大臣の方が位が上だった。
雛人形でも、右大臣は若者姿に、左大臣は老人の姿に作られることが多いらしい。
古来より我が日本では「左上座」という言葉があるように、左をより尊いものとする考え方があったのである。
そして、右を「へ(辺)」と呼んだのに対して、左を「おく(奥)」と呼んだらしい。
すなわち、「奥の手」は元来「左手」を意味したのである。
左手は普段使わない手、右手だけでは間に合わないときに使うとっておきの左手である。
ここから、最後の手段という意味で、この「奥の手」の語が使われるようになった。
「奥の手」がこのような意味を表すようになったのは室町時代のころと考えられ、江戸時代にはすでに日常語として広く使われていたようだ。
さて、「奥の手」の由来についてはこれでよいとして、そもそもなぜ日本では左の方が尊いとされるようにされるようになったのだろう。
はっきりした答えはわからないが、日本の最高神である天照大神がイザナギノミコトを左目から生まれたとされることや、東洋には古くから「君子南面す」の言葉があり、これに則って(のっとって)天皇が南を向くと、太陽の昇る東が天皇から見て左の方向にあたること...どうもこの辺りの事情と関係があるらしい。
ちなみに我が日本では玄関の表札は家から見ると左手側、来客者からすると右側に表札は飾られている。
本日は金曜日の祝日である。本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」過ごして行きましょう。
本日も皆様に少しの幸せが訪れることをお祈りいたしております。
鉄太郎。