音楽でも聴きながらご覧ください。

おはようございます。熊本の爺こと鉄太郎です。


昨日の我が熊本は曇りでちょっと雨でした。我がアパートを出て最寄りの駅までは曇り空でしたが、会社の最寄り駅に到着すると小雨が降っていました。


昨日の我が熊本県の新規コロナ感染者数は、687名でした。少し減ったように感じますが、一昨日に比較して約40名減です。


昨日は忘れ物の日。キャッシュカードを落としたが、駅で拾った人がいて届けてくれていた。残高は未定。


そして昨日は酒飲みの日。スナックにて携帯を充電して頂いていたのだが、忘れて帰宅した。


本日は、晴れときどき曇りの予報だが、洗濯日である。


さて、日本の仏教学者だった鈴木大拙(すずき だいせつ)さんのお言葉をお借りいたしましょう。

「小さくても芥子粒(からしつぶ)は辛いと聞くが、自分から出たものは、小さくても力がある」です。


生命があるのは、本当の意義でいきいきしている。他人の真似のできぬ自分である。


誰でも皆真似のできぬところがあって欲しいものだ。

『生きるということは、お腹のへった時、牡丹餅を食べるほど容易なものではない』…とも言っておられる。

私の解釈は…。
人には特徴があり、一人一人違う。良い特徴は活かすべきだろう。人の真似をしても成功はない。


生きる時いうことは、簡単ではなく人それぞれ違う。もっとも黄泉の世界からお迎えがくるまで自分で努力しなさいだろう。

本日のお話は「懐石料理の所以(ゆえん)」である。

もともと「懐石料理」とは…。
茶会で、お茶を出す前に用意された質素な食事のことを指していました。

茶会では濃いお茶を戴くので、空腹時の刺激をやわらげて適度な腹加減にしておくために軽い料理を戴いたのだ。

もともとは「会席」と呼ばれていたが、会席が料理屋で奢侈(しゃし・・必要以上に贅沢こと)に走るようになったのを嫌って、「懐石」という字を使うようになったらしい。

「懐石」とは…。
禅宗の修行僧が懐(ふところ)入れた「温石(おんじゃく)」という温めた石のことである。

温石とは火で焼いた石を布で包んだもので、一時的に空腹をまぎらわすものであり、「菜石」「薬石」とも呼ばれたらしい。

やがて、石の代わりにおしのぎ程度の軽い食事を出し、これを「懐石」というようになった。

「懐石」は千家流茶道の開祖、千利休によって整えられた。

武家の「饗応料理(きょうおうりょうり・・ご馳走をもてなす料理)」である「本膳料理(ほんぜんりょうり・・最初に出される料理)」の形式的な部分はすべて除き、簡素な禅宗寺院での食事を様式を取り入れている。

本日は土曜日。本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」「情け(思いやり)。仁」の気持ちで過ごしましょう。

本日も皆様に少しの幸せが届くようお祈りいたしております。


笑顔は最高のお化粧ですね。

鉄太郎。