今晩わ…。
超デブで醜く、白髪の禿げチョビンのくまモンの爺でございます。
本日の仕事は明日が通院日のために日勤(9時〜21時まで)です。
本日の我が熊本のお天気は晴れ、朝からやや冷んやりとしましたね。
本日は熊本地震の本震から丁度2年である。我が熊本城も修復中である。
我が熊本城、復興見学ルートが外国人に人気らしい。この復興見学ルートは一周約1時間ほど。
石垣から崩落した石の保管場所あり、石の一つ一つに番号が書かれていて、積み直す際に元の場所へ戻して再利用する。
(未だ崩落したままの状態の箇所もある)
私には短期だから気の遠くなりそうな作業だ。海外の観光客は日本人の丁寧さ粘り強さは正に日本人と感じるのかも知れない。
私も幼少期に熊本城へは夏休みに蝉取りに出掛けたものだ。近くには当時植物園もあった。
さて、本日はお城のお話をしたので、宮殿、ベルサイユ宮殿についてご紹介しよう。
ルイ14世(太陽王)は絶対主義を代表するような王だったが、彼は王宮をパリからパリ南西のある地、ベルサイユにした。
先代のルイ13世が狩猟用の宿泊所として建てた小さな城を本格的な王宮として1661年に増改築をはじめさせた。
1682年には宮廷と政府がベルサイユに移ったが王宮の方はその後も改築が続けられた。内部の装飾・庭園・絵画など一流の芸術家が動員され豪華絢爛な大宮殿となった。
フランス革命により一時中止はあったものの王宮殿が完成したのはルイ・フィリップ王の時でルイ13世が小さな城を建ててから200年以上も経過してからだ。
この壮麗な王宮はヨーロッパ諸国の君主の模範とされ、その後建てられたヨーロッパの宮殿はベルサイユ宮殿を手本としている。
しかし、この壮麗、豪華絢爛たる宮殿にはトイレが1箇所しかない。
大宮殿が何故…? 当時は「おまる」が愛用されていたのでトイレは1箇所となったのだが、宮臣たちが全て「おまる」を持参してするわけではなかった。
したがって、階段のかげなどでは立小便がよく行われたという。
このことはフランス人ならみな心得て、「インカ帝国を探る」という本には「…ルイ14世治下のベルサイユ宮殿の素晴らしい階段の下で、その生理的な要求を果たしたからといって、かれは未開人だったと言えるのだろうか?」…と書いてあるそうだ。
ベルサイユ宮殿を今から見学される方には申し訳ないが、階段下に染みがあるかも知れませんね。
現代人、特に日本人は道徳的な人が多いので立小便などもってのほかですね。
(私はド田舎を散歩するのが好き。トイレがないところが多いが、草木に栄養をと思い立小便をすることもある…但し、人目につかないところでね…失礼しました)
さて、本日は月曜日。本日も「明るく」「元気で」「笑顔で」過ごしていきましょう。
本日も明日も皆様に少しの幸せが訪れることをお祈りいたしております。
くまモンの爺。