久方ぶりのチーム紹介です。Jリーグ加盟チームの紹介も後半戦。
今日はサンフレッチェ広島です。
サンフレッチェの愛称はサンフレッチェ、サンフ、サンフレ、熊、等の愛称で地元では、呼ばれている。(最後の「熊」はマスコットに関係する)
サンフレッチェ広島は広島県の政令指定都市、広島市(人口117万3千5百人強)にホームタウンとするチームである。
ホームスタジアムは、広島広域公園陸上競技場(広島ビックアーチ、収容人員5万人)である。
サンフレッチェの名前の由来は、日本語の「三」にイタリア語の「矢(freCCe)」を意味しており、中国地方の名武将、毛利元就の名言「三本の矢」の故事からサンフレッチェと命名。(三本の矢とは毛利元就の息子「毛利隆元」「吉川元春」「小早川隆景」ら3人を簡単言えば仲良くしろとの意味)
よって「三本矢広島」とチーム名は簡単言えばなる。
またサンフレッチェのチームカラーは紫。最近ではゴール後のパフォーマンスでも観客を喜ばせている。(個人的には達磨さんが転んだが印象的)
またサンフレッチェ広島は1993年度からスタートしたJリーグに参戦したオリジナル10のチームの一つである。
チームの歴史も古い。
1938年・・東洋工業蹴球部創設。
1943年・・太平洋戦争により休部(1945年にはエノラ・ゲイが広島上空に現れ、リトルボーイ(原子爆弾)を落とす。
1947年・・部活再開。
1949年・・全日本選手権大会に実業団チームとして初出場。
1956年・・全日本実業団サッカー選手権大会優勝。
1962年・・国民体育大会優勝。
1963年・・国民体育大会優勝。
1965年・・天皇杯優勝。
1965年・・JSL初年度優勝。
1966年・・JSL優勝。
1967年・・天皇杯優勝。
1967年・・JSL優勝。
1968年・・JSL優勝。
1969年・・天皇杯優勝。
1969年・・JSL優勝。
1970年・・JSL優勝。
1971年・・東洋工業サッカー部に名称変更。
1981年・・マツダスポーツクラブに名称変更。(マツダSC)
1983年・・JSL10位でJSL二部に降格決定。
1985年・・JSL二部にて好成績によりJSL一部に昇格決定。
1986年・・マツダサッカー部に名称変更。
1988年・・JSL二部に降格決定。
1991年・・JSL一部に昇格。
1991年・・Jリーグ参加表明。
1991年・・サンフレッチェ広島F.Cへ名称変更。
1993年・・Jリーグ参戦。
1994年・・サントリーシリーズ優勝。
2002年・・J1リーグよりJ2へ降格決定。
2003年・・J2リーグ2位でJ1リーグに昇格決定。
2007年・・J1リーグ16位でJ2リーグに降格決定。
2008年・・J2リーグ優勝でJ1リーグ昇格決定。
2009年~J1リーグ参戦中。
以上がサンフレッチェの歴史である。リトルボーイ(原爆)から立ち上がっり存続しているチーム。私は影ながら応援している。
マスコットは、チームの愛称「熊」、中国山地に生息するツキノワグマをモチーフし、英語のサンキューとイタリア語のグラッチェの一部を組み合わせた「サンチェくん」。
もう一頭と言ってよいのか、「フレッチェ」こちらもツキノワグマをモチーフにしていて、新鮮さ、若々しさ、みずみずしい、清純さを意味する英語。一般公募で決定した。因みに「フレッチェ」は結婚していない。
以上がサンフレッチェ広島F.Cの紹介である。前節は浦和に佐藤ひさとの復帰もあり2対1で勝利。明日が楽しみですね。明日は3位のG大阪戦。現在8位のサンフレッチェ・・でも勝ち点では5しか離れていませんのでアウェーですが、良い試合を期待しています。
今日はサンフレッチェ広島です。
サンフレッチェの愛称はサンフレッチェ、サンフ、サンフレ、熊、等の愛称で地元では、呼ばれている。(最後の「熊」はマスコットに関係する)
サンフレッチェ広島は広島県の政令指定都市、広島市(人口117万3千5百人強)にホームタウンとするチームである。
ホームスタジアムは、広島広域公園陸上競技場(広島ビックアーチ、収容人員5万人)である。
サンフレッチェの名前の由来は、日本語の「三」にイタリア語の「矢(freCCe)」を意味しており、中国地方の名武将、毛利元就の名言「三本の矢」の故事からサンフレッチェと命名。(三本の矢とは毛利元就の息子「毛利隆元」「吉川元春」「小早川隆景」ら3人を簡単言えば仲良くしろとの意味)
よって「三本矢広島」とチーム名は簡単言えばなる。
またサンフレッチェのチームカラーは紫。最近ではゴール後のパフォーマンスでも観客を喜ばせている。(個人的には達磨さんが転んだが印象的)
またサンフレッチェ広島は1993年度からスタートしたJリーグに参戦したオリジナル10のチームの一つである。
チームの歴史も古い。
1938年・・東洋工業蹴球部創設。
1943年・・太平洋戦争により休部(1945年にはエノラ・ゲイが広島上空に現れ、リトルボーイ(原子爆弾)を落とす。
1947年・・部活再開。
1949年・・全日本選手権大会に実業団チームとして初出場。
1956年・・全日本実業団サッカー選手権大会優勝。
1962年・・国民体育大会優勝。
1963年・・国民体育大会優勝。
1965年・・天皇杯優勝。
1965年・・JSL初年度優勝。
1966年・・JSL優勝。
1967年・・天皇杯優勝。
1967年・・JSL優勝。
1968年・・JSL優勝。
1969年・・天皇杯優勝。
1969年・・JSL優勝。
1970年・・JSL優勝。
1971年・・東洋工業サッカー部に名称変更。
1981年・・マツダスポーツクラブに名称変更。(マツダSC)
1983年・・JSL10位でJSL二部に降格決定。
1985年・・JSL二部にて好成績によりJSL一部に昇格決定。
1986年・・マツダサッカー部に名称変更。
1988年・・JSL二部に降格決定。
1991年・・JSL一部に昇格。
1991年・・Jリーグ参加表明。
1991年・・サンフレッチェ広島F.Cへ名称変更。
1993年・・Jリーグ参戦。
1994年・・サントリーシリーズ優勝。
2002年・・J1リーグよりJ2へ降格決定。
2003年・・J2リーグ2位でJ1リーグに昇格決定。
2007年・・J1リーグ16位でJ2リーグに降格決定。
2008年・・J2リーグ優勝でJ1リーグ昇格決定。
2009年~J1リーグ参戦中。
以上がサンフレッチェの歴史である。リトルボーイ(原爆)から立ち上がっり存続しているチーム。私は影ながら応援している。
マスコットは、チームの愛称「熊」、中国山地に生息するツキノワグマをモチーフし、英語のサンキューとイタリア語のグラッチェの一部を組み合わせた「サンチェくん」。
もう一頭と言ってよいのか、「フレッチェ」こちらもツキノワグマをモチーフにしていて、新鮮さ、若々しさ、みずみずしい、清純さを意味する英語。一般公募で決定した。因みに「フレッチェ」は結婚していない。
以上がサンフレッチェ広島F.Cの紹介である。前節は浦和に佐藤ひさとの復帰もあり2対1で勝利。明日が楽しみですね。明日は3位のG大阪戦。現在8位のサンフレッチェ・・でも勝ち点では5しか離れていませんのでアウェーですが、良い試合を期待しています。