北海道の旅も4日め、今日は車を駐車場おきっぱにして、青函連絡船記念館、土方歳三最後の地、そしてメインの函館山、行ければ八幡坂、赤レンガ倉庫に行く予定です。

 

                                                          ©google map

 最初は青函連絡船記念館「摩周丸」。場所は上の地図の赤矢印のところです。

 宿は、朝市通りの東横インだったので終わりかけの朝市↓の中を歩いて5分足らずでしょうか。

 

「摩周丸」が見えてきました。煙突には懐かしい「JNR」のマークがあります。

「摩周丸」が横付けされている岸壁は「イカ広場」?になっていて、青函連絡船の錨や、D51の動輪がモニュメントとして飾られていました↓

振り返ると函館山が一望できるロケーションです↓

 

 で、階段デッキを登って船内侵入です↓

 

 ちなみにこの「摩周丸」は?

1965年生まれ(わしより年下じゃん)。三菱重工神戸造船所で竣工。

8327トンで、全長は132m、これは来るときに乗ってきた”さんふらわあ ふらの”より68mほど短いですね。総トン数では6割程度。

 ↑写真の入り口は船の2Fになります。

 入るとすぐに、「近代化産業遺産」「機械遺産」そして「ふね遺産」の認定証が掲示されてました↓

 船内にはその他、展示物が沢山。その一部を紹介↓

↑当時の切符。「35年8月5日 汽船寝台券A上段 720円」なんてのがありますね。「函館⇒東京都区内」や「さよなら国鉄 最終船便乗船証明書 昭和62年3月31日」なんてのもあります。切符切りの挟みも懐かしい。うーん ノスタルジー

↑航海日誌ですね

 

↑はじめてつかわれたディーゼルエンジンの1/20模型。ディーゼルなのに2サイクル?? ↓そのピストン他部品類 でかいね!

 

↑分かりづらいですが、船後部から貨車を出し入れしている模型。今と違って昔は鉄道貨車輸送がメイン。船の中にもレールが敷いてあって、船が付くと陸上のレールと”がっちゃんこ”して貨車出し入れしていた。うーん、実際のこの作業見て見たかったなー

↑2代目羊蹄丸の模型。第2層には貨車がみっちり詰まってますね。

 

↑アクリルケースの反射が入っちゃいましたが、「洞爺丸」の模型です。

「洞爺丸」といえば大きな海難事故として、取り上げられてきたのでその名前は脳に刷り込まれてます。

 起きたのは約70年前の1954年9月26日。台風15号(のち洞爺丸台風と命名)により、函館湾内で沈没し、死者・行方不明者1155名にのぼる事故だったとのこと(合掌)。ただ、初めて知ったのはこの台風で沈没したのは「洞爺丸」だけでなく、貨物船の「青函丸」「北見丸」「十勝丸」「日高丸」の計5隻が沈没して、死者・行方不明者は合わせると1430名に登ったとのことです(再び合掌)。原因は台風の異常性とそれを見抜けなかった当時の気象観測の技術・知識不足だったようです。

 「洞爺丸」の基本諸元は下記の通り

 竣工1947年と戦後まもなくで 総トン数:3898トン、全長118.7m 摩周丸と比べても小柄になります。そして、機関は石炭炊き蒸気ボイラー6缶で蒸気タービン2台2軸とのこと。写真でも分かるように4本煙突で格好いいですね。

 

 「洞爺丸」海難含む一連の展示物を見て、次は4F「船橋」いわゆる「Bridge」(言い直す必要ないか?)に上がりました。普段は入れないエリアなので気分も上がります。

 

 

↑いわゆる舵輪ですね。残念ながら海賊船みたいではありませんが、塗装が剥げて頑張ってきた感があります。

 そして、ここでいきなり元青函連絡船船長だった青井さん登場↓

 航海についていろいろ教えて頂きました。

 私の大きな勘違いを正してくれたのが船のスクリューが可変ピッチプロペラであったこと。微速はおろか、逆進もスクリューが逆回転するわけではなく、ピッチ変更で逆進になること。私は全く勘違いしており、車のようにギアチェンジでプロペラが逆回転するものとばかり考えてました。

 その他、いわゆる港内に入ってから、接岸までわずか10分程度で済ませること(乗ってきた「ふらの」でももう少しかかってたような)。波の荒い時は、波が船首を超えてブリッジの窓を割り、水浸しになって操船していたことなど、聞かせて頂きました。聞きながら、その速さと荒っぽさに「洞爺丸」の海難を本当に反省したのかな?と思っちゃいましたが・・・そういう時代でもあったんでしょうね。

 

 海図を見ながら、公開の様子を説明してくれました。公開の目印になるポイント、波の強弱が変わるポイントなどを教えてくれました。右が本州、左が北海道です。

 元船長からの説明を頂く貴重な体験をさせてもらいました。青井元船長有難うございました。

 

 さらに上に上がるとそこは上甲板、さらに見晴らしが良くなります。

 アップにすると有名な「八幡坂」も↓

↓岸壁では小学生が写生をしてました。この景色であればいい絵がかけることでしょう!

 

甲板の手すりに掲げてあるパネルには江戸時代の様子も描かれていました↓

 江戸末期なんでしょうが、「イギリス領事」や「魯国領事」「ロシア病院」など、海外の施設が林立、一方で翌日行く称名寺の名前もみてとれます。

 

 甲板を後ろへ歩いて後部へ行くと、当時のスクリュー実物が展示してありました。

横から見るとペラの付け根が円形になっていて、元船長が行っていた通り可変ピッチであることが分かりますね。

 

 名残惜しくも「摩周丸」をあとにして、次に向かうは「土方歳三最後の地」

 土方歳三→武蔵国石田に生まれて、近藤勇や沖田総司などと幕末京都で新選組で活躍。大政奉還後も戊辰戦争で旧幕府軍の一員として戦いながら北上し、最後はこの函館で散った、まさに幕末を駆け抜けた喧嘩屋である。(最近某アニメで復活してるらしいが・・)

 その最後の地は、函館駅から八幡通りを少し(300m余)五稜郭方面に北上したところ。五稜郭から南方で孤軍となってしまった弁天台場(今は函館ドック)へ救援に向かう途中に敵弾に倒れたとされている。

 この辺のところ諸説あるのでしょうが、興味のある方は司馬遼太郎の「燃えよ剣」、伊東潤の「維新と戦った男 大鳥圭介」などの小説、岡田准一主演で「燃えよ剣」を映画化したのもなどをご覧になると良いかと思います。

 

 歩いていくと、道端に「土方歳三最後の地碑」の看板があり、そこは小さな公園のようになっていました。↓歩道は工事中でした。

 ↓そして上の写真左奥に碑がありました。

↓そのわきには解説版が

↑解説版に貼ってある紙、ここには「※現在の暦では 五月十一日→六月二十日となります 今年令和六年は、函館戦争から百五十五年目です」と手書きで書いてありました。

 そして、ここを訪れた日は奇しくも6月20日だったんです。ちょっと背中がざわざわしました。先客できていたおじさんも「今日なんですねー」っと感慨深そうにこちらに同意を求めらました。もっともなことです。

 改めて碑に合掌一礼しました。

 

 

 さて、そんな感慨を引きずりながらも、お昼近くなるとお腹が空いてきます。

 正直、旅の疲れと昨晩少しアルコール行き過ぎたので、朝はホテルで軽めの朝食、昼もまだ少し軽めかな?という感じ。でも、折角函館に来たので朝市広場で食べました。私は海鮮チャーハン↓

↑かみさんはいかめしをチョイス シェアしつつ頂きました。当たり前ですが材料が新鮮で美味しかったです。

 

 この時点で13時くらい

 ホテルにいったん戻って、靴をトレッキングに履き替えていよいよ本日メインの函館山に。

 ホテルから少し歩いて、函館市電(路面電車)の「函館駅前」駅に↓(前日夕方の写真ですが)

 SUICAでピッとして乗車、平日昼過ぎにも拘わらず観光客で結構混んでました。

 三つ目の駅「十字街」で下車。ここから歩きです。

↓南部坂という東京にもあるような名前の坂を上がっていくとロープウェイの駅があります。

 

 当初は函館山に「下から足で上がるか」なんて勇ましいこと言ってましたが、あえなく心変わりしてロープウェイのお世話になることにしました。

 そして、ここでもコナン君↓

↓チケットもコナン君 でした

 

13:45山麓駅を発進。↓上昇中 この時間お客さんは我々含め7~8人と少なめ

↑遠くに「五稜郭タワー」海沿いには午前中に行った「摩周丸」。手前には「八幡坂」も見えます。

↓3分ほどで山頂駅到着

 

そして、山頂駅にもコナン君!

ロープウェイの中のアナウンスもコナン君(高山みなみさん)で、全面タイアップですね。私も映画が見たくなりましたよ。

 

 この後、山頂駅の屋上に登り風景を楽しみました。

↑遠くには、来るときのフェリーから見えた「北海道駒ケ岳」も見えます。尖っているのが剣が峰。

↓反対側、アンテナ・海の向こうは下北半島ですね

 

 展望台を降りて裏(西)に行くと広場になっていて、函館山のモニュメント↓

↑とっている方向は北になりますね

↓南東方向、立待岬側はこんな感じです。海には潮目のようなものが見えます。

 

 さて、ここからが大変。函館山には旧日本軍が設置した要塞・砲台跡などが散在。これを見に行くハイキング?です。

 

↑ロープウェイの駅でもらった地図(ポッケに入れて歩いたのでしわしわですが)を頼りにまずは、「御殿山第2砲台跡」へ向かおうと思ったのですが、山麓駅からどっちに行っていいか分からない。案内看板がないんです。しかたなく「旧登山道」という標識のある階段を下っていきました↓

どんどん下っていくと、7合目の標識↓

 流石にこれは下りすぎと少し引き返す途中にあった駐車場の奥が怪しいことに気づきました。駐車場の奥に道があるのですが、バリケードで行けないように、でも近づくと「歩行者可」ですって!

 結局、この道が「千畳敷コース」だったようです。案内看板については改善をお願いしたいです。

 少し行くと右に上がっていく階段があって、この先が「御殿山第2砲台跡」でした。

そして出てきました、廃墟チックな場所が↓

↑丸いところは砲座ですね

 

 ↑奥にも別の砲座があるようです。

 さらに上に登ると、見晴らしの良い横長の丘状場所に出ました。

 ↑向いている方向は南東になります。

 この裏に砲座があるロケーションです↓

 砲座は2×3か所で6つありました。

 解説版によれば1898年から1902年にかけて作られたそうです。日清戦争のあとで想定敵は露西亜ですね。その日露戦争ではここから発砲することはなかったようですが、この存在で函館港は守られたとも言えるそうです。

↑このような状況、28㎝榴弾砲だそうです。

ハイキングコースに下りる道↓

 藪がせまってなんとも趣がありますがちょっとどきどきです。この間であった人は二人のみでしたが、会えた時には安心しました、「あー、他にも人がいるって。

 

 次に向かったのが入江山要塞。

 ハイキングコースから「D入江山コース」に入ったんですが、これがささやぶの中のせまい一本道でさらにどきどき↓

 函館山に熊はいないと聞いては来ましたが、北海道の笹薮だと万が一もあるなーと思いつつ進んでいきました、たった、200mあまりですが我々二人だけなのでちょっと心細かったです。

 ↓そして最初に現れたのがこれ

「八八式(はちはちしき)海岸射撃具砲座跡」だそうです。場所からして、函館港に侵入してくる艦船がターゲットだったんだと思います。

 さらに進むと↓かなり崩壊が進んだ設備がありました。

「入江山観測所」だそうです。

 確かに港が良く見渡せます↑

↓階段を降りていくと

↓下はこんな感じになってました。だいぶ傷んでいて中は立ち入り禁止でした。

↓反対を向くと谷側で、進むと山頂駅が見えました。

 

さて、笹薮のDコースを戻って、再び千畳敷コースへ、ここで時間はほぼ15時。最終目的地の千畳敷要塞跡へは1kmほどの距離、そこから山頂駅にもどるのは2㎞ほどになるのでさてどうするか? 

 朝から歩きどおしでかなりくたびれてきているのと、陽は長いとはいえ見知らぬ山の中だし、と悩みましたがここまで来たのでまずはいけるとこまでと、前進を選択。幸い道は未舗装ながら車が通れるほどの道なので順調に歩を進めて、30分かからず千畳敷要塞入り口へ着けました。コースから右へ外れてやや狭い道をゆるく登っていくと分かれ道が↓

ここで右を向くと↓奥に設備の跡があります。

 ここが、千畳敷要塞跡だとてっきり思ってしまいました。後から分かったことですが、千畳敷の遺構は砲台跡と、指令所跡に分かれており。この場所は砲台跡、分かれ道をまっすぐ進むと指令所跡に行けたのですが、残念ながらここどまり。リサーチ不足と疲労と、早く文化的な施設に帰りたいという思いが強かったです。

 そういわれると前出の御殿山砲台の状況と似てますね↓

 

 右を向くと↓半地下の部分と登り階段があります。

 

↓半地下部分はこんな感じです。

 

↓先の階段を上ります。

↓上った先が観測所跡でした。

 そう基本砲台は海から直接見えない場所に設置して、その上に観測所があり、ターゲットまでの方向・距離を測り弾道計算して砲の照準を定めるんですね。

↓観測所からは函館の街が一望。

↓ロープウェイの山頂駅も御覧の通りです。

 

ここで時間は15時半過ぎ。残念ながら千畳敷指令所跡は気が付けずに、山頂駅に向かって撤収開始しました↓

 山の東側の道を帰ることになるので、この時分陽は陰った状態。人もほとんど通らないのでたまに物音がするとドキドキします。山道途中でクレジットカードが入ったパス居れを拾得。そのまま、駅へもっていって駅員さんに渡しました。一日一善です。

 山頂駅に戻って、コーヒーラウンジに座った段階で16時20分過ぎ、へとへとでした。ソフトクリームが美味しかったこと。

 ここで、夜景になるまで待つことにしました。この時点ではお客さんもまばら。

↓西日ですがまだ明るいです。

 

 午前中に見た「摩周丸」も良く見えます。こうしてみると「摩周丸」のおけつと鉄道のラインが合っているのが分かります。「摩周丸」の右上に左にカーブを描いている長い屋根が函館駅ホームです。以前は「摩周丸」の左側にも連絡船の岸壁があったようです。

↓港の出入り口ですれ違う、「津軽海峡フェリー」。次回があればこれで来ても良いかもです。

 

 この場所から登ってくるロープウェイも見えるのですが、18時くらいから登りは常に満員でお客さんを上げています。気が付くと、コーヒーラウンジも満席です。

 

↓19:15、日没過ぎましたがまだまだあかるい。

 

↓19:25、明かりが目立つようになってきました。

19:36、夜景らしくなってきました。

 この辺でコーヒーラウンジを退散。3時間以上、コーヒー、ソフトクリーム、ザンギとビール一杯で粘りました。席を立ちあがりかけたところで「ここよろしいですか?」と他のお客さんに、窓際特等席でしたからね。

 試しに、屋上展望台に行ってみましたが、すっごい人でとても街が見えるフェンス際までは行けない状況。諦めて、ロープウェイ下りに乗るべく階段を下がっていくと、これまたロープウェイに乗る人の行列が出来てました。夜景パワー恐るべしです。

↓19:51の状況、行列参加中に撮りました。The 夜景です。

 

 本日のメインターゲット函館山を堪能して、あとはぶらぶらホテルに帰りながら八幡坂、赤レンガ倉庫を見る感じに。

 ロープウェイ山麓駅を出て北へ歩くと教会が立ち並ぶエリアに。

↑聖ヨハネ教会

↑カトリック本町教会

 ここからもう1ブロック北へ行くと「八幡坂」があります↓

 午前中とは逆のロケーションで「摩周丸」まで一直線です。明かりが海面に反射してとても綺麗でした。

 坂を下りきるカモメさんのお出迎え↓

 あとは、赤レンガ倉庫街を通ってホテルへ向かいました。

 

 うーん 港町の夜です。

 最後にまた「摩周丸」へ戻ってきました。この時点で20:48。ここからホテルはすぐです。

 えっ、夕飯はどうした? 疲れ切ってどこか店に入って食べようという気力がなくコンビニでおなかにやさしい「牛乳パン」的なものを買ってホテルで食べてバタンキュー。あした取り返します。

 ちなみにこの日のスマホの万歩計は、22,526歩 でした。

 お疲れさまでした。