つくば市の教養講座「考古学から見たつくばの戦国」の第2回を受けてきました。講師は、郷土史家の”大関 武”さんです。
2回目とあって、始めから「小田氏とは」っと、かなり具体的な話になりました。
なんと、初代八田知家は、いまやっている大河ドラマ「光る君へ」に出てくる、藤原道兼の孫の孫なんだそうです。
そして、八田知家は同「鎌倉殿の13人」で市原隼人さんが演じて出てきましたね。
歴史・大河はつながる・・・
ここで、当時の名前の構造?についての解説もありました。
例)
平|朝臣|織田|上総介|信長
↓
氏| 姓 |名字|官途名| 名
うじ|かばね|地名 |or受領名 | な
と、なっているとのこと。
そして、氏には源・平・藤・橘がはいり、その時代の氏の長者は誰か? なんてことが言われるようになるとのことでした。なるほど・・
そうすると小田氏の氏は藤原家の流れを汲んでいるので当然”藤原”。小田は地名からくることになるのが普通ですが、その地名は東北藤原氏郷中の地名「小田保」からきて、つくばの方は、その小田氏が住んだので「小田」という地名になったそうです。ほー
ちなみに、鎌倉府により”関東八屋形”という名前で列せられた名族がありそれは
常陸の、佐竹氏、小田氏
下総の、結城氏、千葉氏
下野の、長沼氏、小山氏、宇都宮氏、那須氏
だそうです。
そして時は下って戦国時代、八田知家から下ること15代目が”戦国最弱”とも言われる小田氏治さんです。ただ、ここに至るまでも、公方方についたり、管領側についたりと、その時々の状況にあわせて苦労していたようですね
で、その氏治さんですが、3度城を奪われ、3度取返し、4度目に佐竹氏に奪われた後は二度と取り返すことが出来なかったのことでこれが、1569年の「手這坂の戦い」。常陸で初めて鉄砲が使われた戦いだったそうです。頑張ったのにね。
その頑張りも家臣団や領民に慕われてのことなので、「常陸の不死鳥」とも言われているそうです。私はこちらのニックネームで行きたいと思います
その後小田城は、佐竹氏配下の梶原氏からさらに小場氏の居城になったりしましたが、1602年佐竹氏の秋田転封で廃城となり天領となったそうです。その後は一部陣屋として使われたことはあったようですが、城としては機能せずに現在に至るようです。
祖の城跡は近年になって発掘が進みましたが、その残り方は上から
第1面 戦国時代末期:佐竹氏配下の太田資正、梶原政景が城主だったころ
第2面 戦国時代:小田政治(14代)、小田氏治(15代)
第3面 室町~戦国時代:小田成治(12代)、小田治孝(13代)
の、時代の遺構と想定されるとのことです。
大関先生も発掘に立ち会うそうですよ。機会があったら発掘してみたいですね
発掘は、より昔を探ろうと思うと上の層を壊すことになるので、どこまでどう発掘するか悩ましいそうです
次回は最終回6月16日です!