今日はつくば市の教養講座「考古学から見たつくばの戦国」の第1回を受けてきました。2月~3月に受けた「文化財の歴史と見方」に続いての受講で、全3回です。

場所は同じ、つくば市ふれあいプラザ。

講師は、郷土史家の”大関 武”さんです。

 

先生は冒頭テキストを配る前に、戦国時代はいつから いつまででしょうか? という質問を受講生に投げかけられました。始まりは難しいので終わりはどう?っとなって、それぞれの回答は徳川幕府の開闢、大坂夏の陣、信長の上洛、などの回答、私は秀吉による小田原征伐で終了、と回答。その後、テキストが配られました。

↑テキストの一部

今日は、歴史とは・時代とはという概論から入りました。

冒頭の質問は、時代の捉え方の問題を提起するため。

時代の分け方も、

政権で分ける:飛鳥→奈良→平安

元号で分ける:慶応→明治→大正

文化で分ける:縄文→弥生→古墳→

特色で分ける:原始→古代→中世→近世

とあり、その分け方も考え方や時代や場所によっても違ってくるとのこと。

 

それを踏まえたうえで、戦国時代とはと最初の問いに帰ると、一般的には15世紀後半応仁の乱勃発(応仁元年:1467年)から、織田信長の上洛(永禄11年:1568年)までの期間とされる。

 

しかしところ変われば、つくば含む関東はどうだったか?

その始まり

古河公方足利成氏と関東管領山内上杉・扇谷上杉とが争った「享徳の乱」は、享徳2年(1455年)から始まったので、応仁の乱の12年前からごたごたが始まっている。その後も、古河公方・関東管領・扇谷上杉の内乱含む3つ巴の戦い「長享の乱」・「永正の乱」と立て続けに起こったそうです(仲良くしようよチュー)。

 

では終わりは

秀吉による小田原征伐で、豊臣政権が安定して争いは一段落したようにみえるが、関東では小田原征伐勝ち組である佐竹氏による、負け組の小田や残党的な大掾氏系の征伐が行われていたので、小田原征伐で戦乱終了!っとはいっていなかったとのこと。

よって、関東では一般的に言われている戦国の始まりより早く戦乱の世になり、終わりも後まで引きずっていたことになる。なるほど、やはり地域て絞ってみていくと見方が変わるんですね。

この辺は、地域密着型の講義の面白いところ飛び出すハート

 

そのあとは、考古学・埋蔵文化財とはなにかなどの概論で今日はおしまい。次回以降より具体的な内容になると思うので楽しみです。次回は5月19日です。