2019年6月2日 紺美さんの番組を偶然カナダのTVジャパンで見た。2018年の5月より自分のブログを書き始めたが、その私のブログに最初にいいねを押して、ブログのフォロワーになってくれた方が紺美さんでした。個人的なメッセージ等のやり取りは何もありませんでしたが、今回紺美さんの姉妹の方がブログの更新をしていたのでリブログをした。お姉さま達の思いが少しでも拡散してほしいと思ったからだ。真顔真顔真顔

 

カナダでは2016年に安楽死が法制化されて、いろいろな制約の中で安楽死ができる数少ない国の一つだ。今のところカナダ国籍、またはカナダの永住者しか権利はないようだ。このような法律が簡単に法制化されるはずはなく、法制化されるまで多くの議論がされメディアにも頻繁に取り上げられていた。当時私は健康に問題は何もなかったのであまり真剣には聞いていなかったが、テレビではまたかと思うほど何度もこの問題が議論されていたのを覚えている。定かではないが、その時は患者からの要求でALSや筋萎縮症などの神経難病の患者への安楽死が取り上げられていたと思う。いずれにせよ世論、メディアが大きく取り上げない限り法制化など夢のまた夢である。NHKがこの問題を取り上げてくれたのは本当に良いことだと思うがこの番組を制作したディレクターにはもう少し頑張ってメディアを絡めた議論まで待ちこんで欲しいものである。日本では今、桜を見る会がどうのとか、選挙運動でウグイス嬢にお金を日当1万5千円を二倍払っていたのは違法だとか、どうでもよい問題をマスコミも政治家も一緒になって議論しているがそのような議論をいくらしても時間の無駄としか思えないのだが、そう思うのは私だけだろうか?もっと議論すべき問題はたくさんあると思うのだが。ニコニコニコニコニコニコ

 

本題に戻ろう。私の思うところ、死を深く考えることとは、今をどのように生きるかということに大きな影響を与えると思う。人によっては死を恐れるあまり恐怖にかられ人生を台無しにしてしまうケースもあると思うが自分の死を冷静に見つめつつ、それまでの時間をどのように過ごすかを自分で決めることができれば自分のコントロールが効かない、生を受け入れることより良いと思う。自分の人生は自分で決める。それがすべての人にとっての正解で良いのではないかと思う。

 

ブログの中で、医療者の中には、「自分だったら安楽死を体を張ってでも止める」と書かれていたというが、それなら止める前に私の体をもとの健康な体に戻してから止めてくれと私なら言いたい。不自由な、どうにもならない体を死ぬまで引きづっていくのはあなたではなく私だと言いたい。何を言っているんだか?笑い泣き笑い泣き笑い泣き