ハレルヤ!
本当に本当にリハ楽しかった☆
慎也さんさすがやわ!
霊的な視点が一緒だからワーシップしててもはまるわ~。

ゴスペルソングや教会音楽じゃない。

『主との交わり』

それが最大限の喜びであり、それ以外の何ものでもない。
これだよね、これ。

慎也さんは霊的にさらに深みに漕ぎ出した感じで。
霊的瞬発力がすばらしかった!天が開く!!
この世の目に見えるもの(ゴスペルソングそのもの)から、目に見えないもの(主)に人々の心を向けさせ、ワーシップへと導く。
この人は本当、すばらしいと改めて思った。
油注がれ、練られた主の器。
すばらしい主の働きをいかにして人に伝えるか、主の聖さを受け継ぐものとしていかに清められ用いていただけるか。
いかに主が働かれやすいように自分を整えるのか…
目線が違うんだよね~。

こう言っちゃ失礼かもしれないけど、慎也さんは私にとって、いいお手本。
いかにして主に用いていただくために自分を整えるか。霊的な部分も考え方も生き方も。

主のために働く人生…献身…。
もし主の働きのために私の人生を捧げることができたなら…そんな最高な人生はないと思います。

主がなさることなので自分自身、分かりませんが…いつその時が来てもいいように準備をしています。
〉主よ!
「全く(アンドレの)メッセージが分かってない。」「あっちはどうなってるの!?ちゃんとしてちょうだい!失礼じゃないの!」


悪気があって言った訳でもないし、教会のために言って下さったって事も頭では理解できる。

でも…心が理解できない。
コテコテの礼拝でも心のどこかでびくびくしている自分がいた。
先生方や教会員の反応が気になる。目が気になる。
実際に首をひねったり、頭抱えたり…一言物申したげなご様子。
そりゃ、圧倒的な聖霊の働きがあるわけないよな。
神学という理論でもって自分たちで(超自然的な)聖霊の働きを押しのけてるんだもん。

そんな事を感じ、考え…当然のように…もろ手を挙げて100%神様に向かう事ができない自分がそこにいた。
そんな自分が悲しかった。苦しかった。

おかしいよね?
これで健全なの?

そんな中であっても神様はちゃんと祝福を下さって、それでも終わった後は心がホカホカしていた。

そんな、心がオープンになっている時の一撃はでかい。
一気に祝福が奪われてしまうような…血の気が引く感覚…あー嫌だ、この感覚。
何度となく教会の中であったなーこの感覚。

「なんで私に言うの!?」「なんで私が我慢しなきゃいけないの!?」「なんで私がこんな思いしなきゃいけないの!?」「なんでいつもターゲットになるのは私なの!?」

心の叫びが聞こえてくる。
痛いね、つらいね、悲しいね。
このままでいいのかね…。

ホント、十分…

がんばってるよ、私。
耐えてるよ、私。




ね、神様。。。