何だかいらいら…。

なんでこんな時間までいるのだろう…私。

私、やっぱこういうの苦手。

頑張って元気に盛り上げ、頑張って明るくして、頑張って人と話をしなければならない感じ。


奉仕とかの後の心地よい疲れとは対称的な、ダルい重い疲れが。。。

なんのためにこんな時間まで残ったんだろう。

ヒマでダルい「今日」の意味をラーメンを食べに行くことで理由づけしたようなものだ。

何のために…。


それなのになかなか連絡とれないし、電話がきたと思ったら「しょうがない」とか言われ…

みんながいるから来いとか言われ…お腹いっぱいなのに行って…なのに「遅い」とか言われて。

それで、コーヒー一杯でちょっとつまんで、1000円払えだと!?

「は!?」って思った。

来てからおしゃべりもろくにしてないのに。

付き合いで無理に食べたのに。

無駄な出費だよ…ったく。

ハイハイ、どうせ私はちっちゃい人間ですよ。


本当、帰りゃよかった。

本当、むかついてくる。

ボーーーーーーっとロビーで過ごしてさ、無駄な半日を過ごしたよ。

ってか、そんな私が嫌だわ。

人にコントロールされる人生…もう嫌だわ。

「そんなもん跳ね飛ばせばいいじゃん」とかまた言うかもだけど、できないから悔しいんじゃん。

この世は喰うか、喰われるか、ですか!?

人を利用するような優しさはいらないです。


別にもう人から嫌われたっていい。

これが私だもん。

どうせ私は人間には期待してないもん。


全く、この雨が余計に悲しくさせる。

舌噛んだよ…本当に痛いよ、悲しいよ。


ICGCリハ。

クワイヤのリハでPraise Breakってありえないw

ってか、日本のクワイヤでこんなとこあるの!?


本当に「風(聖霊)は思いのままに吹く。」(ヨハネ3:8)んだなーって実感。

だって、完全に予想外ですもん。


私自身も行く前、霊的に乾き飢えまくっていた。

証しができないほどに霊的にやばい状態。

罪の状態。罪→神様から離れている、的外れな状態。

悔い改め、「感謝します。感謝します!」といくら言っても乾いていて、しかも喜びが奪われている状態。

そんな状態でリハへ。


そしたら、何だかいつもとは違う雰囲気がそこにはあった。

何やら…サタンの動きがw


何だか霊的に一致していないし、バンドの音も粗いというか…いつもより賛美していない。

表面的には盛り上がっている。

でも、私には背後の霊的な働きを感じてしまう。

分かる人には分かる。

私だけ、なんだか盛り上がっていないような感じだったけど、それでもいいの。


みんなが盛り上がっていても、私的には霊的闘いモードだった。

なんだろ、このハラハラする感じw


そんなこんなを思いながら、いいタイミングでFaithful is our Godを賛美することに。

その時、なんだか不思議な感覚に。

最近、ちょくちょくあることなんだけどね。

確かに私の口ではFaithful is our Godを歌っているの。

でも、私の内ではZawamekiが流れている…ってか、みことばが宣言される。

「平和の神があなたがたの足でサタンの頭を踏み砕く!」


まさしく、霊的闘いにおける、みことばの剣。

キリストの勝利の宣言。


そんな、完全に霊的な視点になったままOh Happy Dayのソロ。

リハではあまり熱くなるのは自分的によくないかもなーとか思いつつ、賛美していたら…どんどん熱くなってしまいw

気がついたら、もう聖霊に流されて自制できない状態に(笑)

Praise Dance!!!

ぬはっ!

振り返ると恥ずかしい…が、私の思いではないので仕方ない(笑)


リハ終わって何だかいままでとはなんか違う、満たされ方だなって思っていた。

なんだろう…「新しい」「召し」「選び」


昨日の夜、夢を見た。

私が霊的に飢え乾いていて、死にそうで助けを求めている。

いつものようにICGCリハに行くと慎也さんが突然現れ、暗い霊的状態を打ち壊し、聖霊に満たされるという夢。

ただ単に「油注ぎがほしい」と求めていただけなのかもしれないけど、実際にこうして現実化した。

しかし、違うのは慎也さんがいないこと。


主が慎也さんがうちの教会に、ICGCに、池袋に導いてくださり、いろいろな働きをして下さったからこそ、霊的な土台ができ、今の祝福があるんだと思う。


でも、もう十分なメンバーが集められ、また私も霊的な部分での働きをするようになった。

今までやってきたことだが、私は改めて霊的な部分の監視役?の働きに召されているんだと実感した。

しかも、この間の火曜日の出来事(悪霊追い出し?)だったり、なんだかもうひとつ深い部分に連れてこられた感じがしてならない。

今日のPraise Breakでの自分もそうだ。

聖霊が臨み、満たされるのは人間の思いではない。

つまり、なんらかの意味があって注がれると私自身は感じている。

それが「召し」だ。

主の働きをするために「力」を注がれるのだ。


これから、ミニストリーにおいてどんどん祝福されることを信じる。

でも、逆に言えばサタンの働きもあるかもしれない。


そのために、霊的世界における主の勇士として召された感じがした。

ある意味、今まで慎也さんが担っていた霊的ケアの部分を任されたというか。


もちろん、私だけではできない。

でも、そのメンバーはもう備えられた。

同じ方向を向き、進んでいく強力な主の勇士たち。

こんなクワイヤはあるだろうか。

本当に素晴らしい主の働き、祝福に感謝だっ!


主に栄光がとこしえにありますように!



何で、日曜日に苦しいの!?

何で、日曜日教会に行くのに闘っているの!?


そりゃ~さ、私のメンタル的な部分が大きいってのも分かってるしさ、それがまた悔しかったりするんだよ。

Noと言えない日本人。

そりゃ、人の意見とか思いとか跳ね飛ばせばいいじゃんとか思うかもしれないけど、それができたら私は悩んでないです。バカみたいにメソメソしてないです。


この世の中で活躍する人っていうのはさ、前までは頭のよさだったり、人柄のよさだったりが左右するんだと思っていた。

でも、よく生きられる人、活躍する人って…自分自身を上手くコントロールできる人なんだって思った。

自分より外の世界と自分自身との調和を上手くできる人。


素直に生きてしまって、傷つき、外の世界に押しつぶされた人とか…不条理なこの世の中に埋没されてしまう人を何人も見ている。

きっと、私もそのひとりだろう。


外の世界と調和し、上手く、賢く、生きていられる人にとって、上手く生きられない私みたいな人を見たら「何で?」って思うかもしれない。そんなの当たり前だけど。分からないんですもん。

「バカじゃん。」って鼻で笑われるかもしれない。

そして、こんなヤツはほっといてみんな先へ行く。そして、私という存在は忘れさられていく。

それが人間というものだよ。

それが世の中の風潮だよ。

だから、私は人間には期待しない。

きっとこれから先も。


でも、実際、教会にくるような人はそんな人ばっかり。

この世の中(外界)と調和がとれ、上手く生きられたら困らないですもん。

この世の中からある意味排除されたような、私のような紙切れが安らぎを得られる唯一の場所が教会なんじゃないの?

安心できる場所、楽しい場所、本音で話せる場所が教会なんじゃないの?

主に対する畏れからくる緊張はいいんだけど、人に対する恐れ、場所に対する恐れはいかんと思う。

いろんなことに気をとられて礼拝も集中できない、教会を批判するような自分の思いにもうんざりする。


今まで、我慢してきたよ。闘ってきたよ。

奉仕は頑張るもんじゃないけど、頑張らないとできないんだもん。

毎回の評価。毎回の注意。毎回の感想。

嫌だね。

ひとつ頑張ってやったら、次の課題が出てくる。

ひとつ注意してやったら、別のことを注意される。

私はなんのためにやっているのだろうか。

牧師のために奉仕をやってるんじゃない。

教会員から認めてもらうためにやってるんじゃない。

他の人のご機嫌取りのために私がいるんじゃない。


そういや、牧師にほめてもらったことはあるだろうか。

ねぎらってもらったことはあるだろうか。

あったとしても、次に出てくる言葉は評価だったりする。


集会の構成とか、上手くできたとか、それも大事だけど…そんな人間的なことよりも何よりもその集会を主がどれだけ喜ばれたかが大切なんじゃないの?


教会員の賜物を発見し、引き出し、育てるのがリーダーの役割なんじゃないの?

偉そうなこと言える立場でもないし、あんた何様って感じだけど。


でも、怖いね。

怖い。

権威ですよ。


ああ、どうしよう。

明日からまた一週間が始まるっていうのに…もう嫌になってきた。

昨日までハレルヤな感じだったのになぁ。

なんなんだろ。。。

もうどうでもいいや。