私は冷たいヒトだと分かっている。
だからあなたの暖かさが必要なのです。


私は愛することが簡単にはできないヒトだと分かっている。
だからあなたの愛が必要なのです。


私はすぐに落ち込んでしまうヒトだと分かっている。
だから弱さの中で働くあなたを求めるのです。


私は心がすぐに変わってしまうヒトだと分かっている。
だから変わらないあなたの心が知りたいのです。


私は弱さ以外に何もないヒトだと分かっている。
だから私を強め、生かして下さるあなたを見上げます。


私はひとりぼっちだと思っていた。
だけどあなたはいつでもどんなところでも私のそばにいた。


過去も現在も未来も…すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたがそこにおられる。
だからわたしには乏しいことがない。


あなたは私のいのちの源です。
あなただけがすべての賛美を受けるにふさわしい方です。

きょうという日に『私』と存在を変わらない愛で愛し、満たし、生かして下さるあなたに感謝します。


神様、私を救ってくれてありがとう。
生きていてよかった。
心からそう思う。

あなたを愛し、あなたを慕い求めます。
ずっとずっと…永遠にあなたと生き、あなたのために生きたい。

これが…この時、この場所で私というヒトが思うあなたへの祈りです。

ハレルヤ!主に栄光!!

今日は、ずっと初期から一緒にゴスペルを歌ってきた姉妹とじっくりと話す機会が与えられた。

彼女が、もしくは私が、何か転機を迎えるとじっくり話す機会が与えられる。

というか、彼女の方はガンガン進むタイプなんで、私がその機会を「待つ」というのが正しいかもしれない。


彼女は音楽的な賜物もあるし、新たな世界というか新たなステージの中で楽しんでいたので、私はただその様子を見守るしかできなかった。

たとえ、ちょっと違うと感じていても、本人から「楽しいこと」を取り除くことはできないから。


でも、神様は身体的な症状を与えることによって、その機会を、その痛みと向き合うということを彼女に与えられた。

私が感じることを伝えることは、その人に不快感を与えることにもなりかねないことが多い。


なぜなら、その人の暗闇、その人の傷を掘り起こすようなもんだから。

もちろん、その先に解決や癒しがあることは分かってはいるんだけど、その人にとっては「痛み」でしかない。

その時は「痛み」しかみえていない。


でも、彼女の場合、主の導きを感じたし、何よりも私自身彼女に対してそれだけの信頼感があると思ったからこそあえて伝えた。


彼女に対する私の思いは…やっぱ「特別」。


賜物も性格も、何もかも正反対って感じだから、もしかしたら彼女はこれからますます話す機会や祈りあう機会がなくなっていくかもしれない。

もしかしたら、私のことも気にしないくらいに素敵な人たちと出会ってそっちに進んでいくかもしれない。

でも、私はきっとずっと彼女の事を思って祈っていくんだろうなって今日思った。


彼女にとっては多の中の1かもしれないけど、私は唯一の1の目で彼女を見ていくと思う。


私を通して主が働かれる、私が聖霊に祈らされること…本当、不思議な感覚。

相手の痛みを映し出し、主に祈る…「鏡」のような役割だなって思った。

これが「とりなし」なんだ、って。

そして、これが「人を愛すること」、「人を信頼すること」なんだ、って。


でもこれは「教会」がするのが一番いい。

彼女とは教会(狭義の)が違うので、アフターケアがなかなかできないのが痛みだ。

主に信頼し委ねつつ、祈っていこう。




あーむかつく。
「お前しつこいんだよ!」とか怒鳴られたら誰だって傷つくよ。
特に学びによって心が解放してた時だったから打撃はでかかった。
サタンの奴らはこういう時を狙うんだな。
そこで怒るって事がおかしい、違うんじゃないの?
「お前」とか言葉を急に言うって事は背後で「俺の物」って言う思いがあるって事じゃん。
…思いの中に働くサタンの策略w
「お前」…支配的な言葉…女を卑下するような言葉…大嫌い。

傷つけられるのは結構、慣れっこになっちゃったんだけど(世の中はほとんど上下関係の価値観だから)教会で、主の働きの中でその価値観がベースにあるのは悲しい。
神が絶対的な存在であって、救われた者たちは…神の子であって、キリストイエスを兄上とした兄弟でしょ?そこにはなんら差別も上下もないでしょ?
だから私は教会がこの世の中にあって尊い存在だと思うし、唯一安心していられる…本当の「私」を受け入れてくれ、本当の「私」で居られる場所。

だから余計に悲しい。
その空間は主のみこころではないから。

根底にある思いが見えた。
コレだよ、ココだよ。
氷山の下に隠れている無意識の層。
意識できない事。
だから伝わらない。
人間の意識の部分と共にそこに働く霊的な流れ。
いくら否定しても感じるもんは感じる。
霊的に感じるのに伝わらない、伝えられない…つらい。「言葉(知恵)」を盾として自分を守る。自分の弱さを見ない。
「お前、いつからそんなに偉くなったんだ?」って、「お前はいつまで経っても俺より偉くなれる訳がない」という思い…儒教的な支配する、されるというベースが背後にある。

奴らは教会を狙っている。そして、主のミニストリーを行う者たちの関係を壊そうとする。
そして、その一番弱い部分を知っていてそこを狙う。
私たちもその弱い部分を知り、奴らの策略を見破り、気をつける必要があるのではないか?

主のミニストリーに携わる者は特に日々の聖霊による罪の示しと悔い改め、清めが大切なのではないか?
主に仕え、人に仕える者でありたい。


だれでもまず自分を吟味し、それからパンを食べ杯を飲むべきである。
(Ⅰコリント11:28)