はじめに…。

ココのブログは私のただの『毒吐き場』です。感じたそのままを書いてます。

ただの“ひとりの人間”としてこの時、この場において確かに生きているという自分自身へ証明(フィードバック)が目的です。

なので、ここのブログの存在は知り合いにはほとんど教えていません。
見つけてしまって、読みたくなければ読まないで下さい。

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前記事で『あの教会』と表現してしまったが…『あの場所』という意味だ。

主の臨在は人間にはどうすることもできない。
人間にできるのは『場所を整える事』だ。
それは清めであり、癒しであり、関係の回復である。
その場所が整ってなくても主は働かれる。
しかし、整っているならば祝福が与えられるのは自然な事。
整えられるためには、犠牲があり、痛みがあり、闘いがある。

いつもそのような時、主は私に『それでも私を愛するか?』と語られる。

人間には自由意思が与えられているので、拒否できるかもしれない。

しかし、『主よ、愛します。あなたに従います。みこころが成りますように。』と応答するならば、さらに多くの新たな素晴らしい祝福を与えて下さる。

今までの信仰生活の中でもそれを多く体験させていただいてきた。

主は、真実なかたであるから、あなたがたを強め、悪しき者から守って下さるであろう。(Ⅱテサロニケ3:3)

主は真実なお方。主の目にはすべてが明らかである。
そして、主は主を求める者に必ず応えて下さる。

主により頼む者は、失望に終ることがない。(ローマ9:33)

アーメン。

今の痛みや苦しみに目を止めるのではなく、キリストの衣をまとって…いつも喜び、絶えず祈り、すべての事に感謝して歩んでいきたいと祈る。


わたしは常に主をほめまつる。そのさんびはわたしの口に絶えない。(詩篇34:1)



ハレルヤ!!