詩篇49:16-20
人が富を得るときも、その家の栄えが増し加わるときも、恐れてはならない。
彼が死ぬときは何ひとつ携え行くことができず、その栄えも彼に従って下って行くことはないからである。
たとい彼が生きながらえる間、自分を幸福と思っても、またみずから幸な時に、人々から称賛されても、かれはついにおのれの先祖の仲間に連なる。彼らは絶えて光を見ることがない。
人は栄華のうちに長くとどまることはできない。滅びうせる獣にひとしい。


ハレルヤ!
日吉pph。かなり濃厚な主の臨在と聖霊の油注ぎ!
何だか…素晴らしかった。
主が応えて下さっているのが分かって感謝だったわ。

帰って祈っていたら与えられたみことば。
なぜココ?って箇所だけど……。

祈りつつ思い巡らしてみた。


“人が富を得るときも、その家の栄えが増し加わるときも、恐れてはならない。”

『恐れてはならない。』
???

恐れてはいないけど…。
確かに福音を伝える時に相手をみて伝えている。

自分が社会的立場が低かったり(ナースに言われる)、一般的には落ちこぼれ(夢破れる)だなって思う。

仕事ができて、生活の余裕があって、人々から賞賛される才能や魅力がある…。

そのような人に対して福音を堂々と伝えられるか…??

『NO』

自分の中にトラウマがある、相手と比べて自分は立場が低い…。
多分、仕事中の私はそんな思いに支配され、イエスキリストの光が見えなくなっている…。

気付かされた。

そんな自分の立場も思いも全てを神様は知っている。
あれこれと自分の弱い部分に目をやり、言い訳を言いまくる私に対して、神様はこう言うかもしれない。


『だから…何?』

(笑)

そう。
自分の弱さや相手の状態、周りの環境…

それらと永遠の命と何の関係があるのか?と。

たとえ、その人自身が『幸せだ』と言っていても…
イエスキリスト以外に救いはないのだ。


御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。
(Ⅱテモテ4:2)


↑このみことばは気が引き締まるような思いがする。
自分がしっかり主とつながっていて、正しいみことばの理解がなければ相手に伝えることが出来ない。

しかも“時が良くても悪くても”だから…『いつも』自分の霊性の健全さを保ち、みことばを伝えられるようにしておくように…。

って!そんなこと考えてたら脳みそが『キューーーー!』ってなるわw

伝道は説得じゃない。
主の霊的働きだ。


主との共同作業。
主のために、主と共に働ける、この人生に感謝。