今日の奉仕も無事に(?)終了しました…。

疲れました。
何だか疲れました。

私自身の問題です。
イエス様はいつも変わらないです。
聖霊様の導きも毎回素晴らしく、ハレルヤ!です。
しかし、その恵みと導きを受け取っているにも関わらず、外に流す事ができない、その通りにできない、自分が情けないです。


清められ、練られた器となるためにはまだまだ程遠い感じですが…それでも前に立たせていただき、主のご用のために働かせていただくのは感謝なことだし、全くもって不思議なことです。

そんなダメダメな私だから、主は立たせているんだろうね…。

先週は苦しかった。
なんじゃ!?この平安のなさは!?って感じでした。
聖書(旧約から)の学びをしてるけど、なぜか聖書を知れば知るほど、読めば読むほど自分の罪が見えてくる。苦しくなる。
律法が示す事は人間の罪深さしかないな…って改めて感じた。
信仰をもって(イエスキリストのあがないが聖書全体の一貫したテーマということ)を聖書を読まなければ、『聖書』という書物は実につまらないものだと思った。
(信仰をもって読んだらこんなに素晴らしく、喜び溢れたものなのに!!)


エペソ2:14-21
l.14キリストはわたしたちの平和であって二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。


ハレルヤぁ!!!!!!


今日一日を通して…。
人間の罪性はとっても重く、深く、汚く、自分ではどうする事もできないもの。
(罪を示されるのも聖霊の働きだけど。)
でも、その一切の罪を帳消しにするためにイエス様が来られ、十字架に架かられた。
それだけではなく、人間の罪と死によるダークネスな状態を打破し、復活された!!!
ハレルヤ!
何と素晴らしいのでしょうか!

神でありながら人の姿をとり、私たちと同じ痛みを負われた。
それだけでなく、私たちを愛するがゆえに、最大の苦しみの十字架さえもいとわなかった。

神は愛である。

感謝しかありません。

そんなことを日高屋で思い巡らせつつご飯食べていたのですが…ふと、周りに気を向けてみちゃいました…。

右隣りの夫婦は一日、競艇場にいたらしく、ひたすら「こう買った方が当たる」とか「あのレースはここがダメだった」とか「あの人はいくら当たった」とか…話していて、左隣りの人は餃子をつまみにレモンサワーを飲み、しまいには帰り際に店員のねーちゃんにちょっかいを出す始末。
何だかなぁ…。
人間…何だかなぁ…。

それらの方々と比較するのもいけないと思うけど、本当、早いうちにクリスチャンになって(救われて)良かった。感謝だわ。
イエス様と歩む人生…何にもかえがたいものだもん。
こんな喜ばしい事、他にはないもん。
もう世の中の価値観に戻るという選択肢は全くないね。
日曜日に教会行かないで遊ぶなんて考えられないこと。

そんなこんなを考えていたら、感謝に溢れて…日高屋でレバニラ定食を目の前にウルウルしちゃいました(笑)

まあ、確かに今日は疲れた。
でも、今日も新しい人が来てくれたし…主が働かれているのが分かる。
教会全体も潤い始めた。
感謝だっ!
ハレルヤ!!

うっし!燃やされつつ、主のために働くよぉ!!!
これ打ってたら、熱くなってきた!(at.日高屋w)



ま、ストレス食いは…否めない…。
食後のシュークリームと鯛焼きとココナッツミルクくらいは許してね(笑)
ではぬー。