木曜日の聖書の学び。
マジで楽しい。
みことばを知る事…これ以上の楽しさはないね。
ギリシャ語の文法を学ぶ事によって聖書の真理がどんどん深く広く分かっていく…ホント快感。
みことばを通して聖霊の迫りを感じる。
その箇所だけでなく、聖書全体が繋がり、真理の理解が濃くなっていく。

不思議だわ。

ここ最近、詩篇16:8-11の箇所がずっとついてまわっている。


詩篇16:8
わたしは常に主をわたしの前に置く。主がわたしの右にいますゆえ、わたしは動かされることはない。このゆえに、わたしの心は楽しみ、わたしの魂は喜ぶ。わたしの身もまた安らかである。


祈る時も“私の価値観じゃなく、主の価値観に立つことができますように…”と祈っていたんだけど、自分で祈っていながら『主の価値観って何だ!?』って思ったの。
私の頭で考える“主の価値観”は結局、“私の価値観”でしかないから。
よく分からなかった。

でもね、今日ちゃんと神様が答えを用意して下さっていた。

ピリピ書簡ではパウロの価値観が読み取れる。

1:21 生きることはキリストであり、死ぬことは益である。

この時、パウロは獄中にいてホントに殺されるかもしれない状況でこの言葉を書いている。

Key Wordが“キリストに在りて”であって、パウロが苦しみの中にあっても、生きてピリピの人たちに会いにいこうと願っているのは…

あなたがたが

1:26 キリスト・イエスにある誇を増す

ためであると言っている。

そして、パウロは

3:8 主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値観のゆえに、いっさいのものを損と思っている。

と言っている。

教会を迫害していたあのパウロ先生がですよ!?

その時、上の詩篇でいう“価値観”を思い出した。


最後に読まれた箇所が…

マタイ7:7-8
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすればあけてもらえるであろう。すべて求める者は得、探す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。

ギリシャ語だと分かるけど、ここは全て『命令形、2人称+3人称』で書かれている。
これは、“主が働いて下さる”ということ。

マタイ6:33
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

神の価値観に立ったとき、本当に必要なものが見えてくるのだ。

前に本で
祈りの原則は…
“神のご要求にかなう者だけが、祈りの準備ができており、聞かれる祈りをすることができる。”
と読んだ事がある。

なるほどね。
キリストの価値観に立つならば生も死も何物をも恐れる事がない。

“まず神の国とその義とを…”

そして、

“すべての事についてつぶやかず…行いなさい。”

と。

あぁ…駄目だ(涙)。
主のすばらしさにただただ膝を折ってひれ伏すだけです。