昨日は何だかすごく神様から語られた!!
礼拝のメッセージもタイムリーな内容だった。
使徒17:16-23
パウロがアテネでシラスとテモテを待っている間…
街に偶像がおびただしくあるのを見て、心に憤りを感じた。
そこで、会堂でユダヤ人と信心深い人たちと論じた。
偶像の中で生きている日本でも同じような事が言えるだろう。
しかも、“知られない神”(知ることができない神)とあるように自分たちが何を拝んでいるのかも分かっていない。
そこに、日本の“多神無知性”がある。
拝んでいるものが悪魔・悪霊であるのに…
パウロの福音のメッセージを聞いたアテネの人々の反応は“あざ笑う”“また聞く事にする”というものだった。
そのアテネの文化的姿勢が今の日本の状況と類似していると牧師は言う。
私の教会がある池袋ではたくさんの人が新しい刺激を求め、遊びにやってくる。
“何か耳新しいものを”
だけど、その中で教会に来て、福音に触れる人がどれだけいるだろうか。
同じ池袋に教会があるのにね…
福音を聞く機会があったとしても“本当に”耳を傾ける人がどれくらいいるだろうか。
また感謝な事に多くの人がゴスペルを通して救われるようになった。
でも、救われた人が教会に繋がる事がまだまだ十分にフォロー出来ているとは言えない。
この事も使徒行伝を通してメッセージが語られました。
アテネでのパウロの福音メッセージを聞いて救われた人も起こされた。
しかし、アテネでは残念ながら教会ができなかった。
イエスキリストがこの世に来たのは、“私の教会を作る”ためである。
福音を受けとり、救われても教会における交わりがなければ、次第に霊的な力は衰え、そのうちにせっかく燈されたキリストの光は消えてしまうかもしれない。
何だか、メッセージを聞いていて人間的に悲しくなってきたというか、すごく熱いものが込み上げてきた。
いつも聖霊のあっつい油を注がれ、霊的な視点で闘えるように…。
改めてやるべきことがはっきり示されたって感じかな。
そんな神様のあっついメッセージを聞いたその後…
ゴス友とそのお母さんと話す予定があった。
私はほとんど話さなかったが、凄かった。
これほどまで“神の武具で身を固める”重要性を感じた事はなかった。
特に“みことば剣”の力強さ。みことば覚えなきゃな…って。
あと、忍耐。
私は話しが同道巡りだったので正直“もういいんじゃ…”って思ってしまった時もあった。
でも本当に思った。
大好きなイエス様を悪い風に思い違いされたくない。
大好きな神様を利用されたくない。
神様が嫌って思う事を人にだってされたくない。
本当の“神様の愛”を知って、感じてほしいって。
何度となく泣きそうになった。辛かった。
最後らへんには初めて本音が言えたって言ってたし、いい交わりだった。
まあ、まだまだこれからだけど。
でも、その様子を見てて、私も親の事を思ったな。
私ははたして親を愛しているのだろうか…って。
正直、今は“関わりたくない”思いでいっぱいだし。
まあ、いいや。
ちょっとづつね。
にしても…
私、すごいいろいろ経験させてもらってるよなー。
すごい恵まれてるっつーか、神様から鍛えられてるっつーか。
なんか、本当、あり得ないな…。
神様、私をどうしようとされているのかな…
でも、いてもたってもいられなくなってるのは確かだね。
礼拝のメッセージもタイムリーな内容だった。
使徒17:16-23
パウロがアテネでシラスとテモテを待っている間…
街に偶像がおびただしくあるのを見て、心に憤りを感じた。
そこで、会堂でユダヤ人と信心深い人たちと論じた。
偶像の中で生きている日本でも同じような事が言えるだろう。
しかも、“知られない神”(知ることができない神)とあるように自分たちが何を拝んでいるのかも分かっていない。
そこに、日本の“多神無知性”がある。
拝んでいるものが悪魔・悪霊であるのに…
パウロの福音のメッセージを聞いたアテネの人々の反応は“あざ笑う”“また聞く事にする”というものだった。
そのアテネの文化的姿勢が今の日本の状況と類似していると牧師は言う。
私の教会がある池袋ではたくさんの人が新しい刺激を求め、遊びにやってくる。
“何か耳新しいものを”
だけど、その中で教会に来て、福音に触れる人がどれだけいるだろうか。
同じ池袋に教会があるのにね…
福音を聞く機会があったとしても“本当に”耳を傾ける人がどれくらいいるだろうか。
また感謝な事に多くの人がゴスペルを通して救われるようになった。
でも、救われた人が教会に繋がる事がまだまだ十分にフォロー出来ているとは言えない。
この事も使徒行伝を通してメッセージが語られました。
アテネでのパウロの福音メッセージを聞いて救われた人も起こされた。
しかし、アテネでは残念ながら教会ができなかった。
イエスキリストがこの世に来たのは、“私の教会を作る”ためである。
福音を受けとり、救われても教会における交わりがなければ、次第に霊的な力は衰え、そのうちにせっかく燈されたキリストの光は消えてしまうかもしれない。
何だか、メッセージを聞いていて人間的に悲しくなってきたというか、すごく熱いものが込み上げてきた。
いつも聖霊のあっつい油を注がれ、霊的な視点で闘えるように…。
改めてやるべきことがはっきり示されたって感じかな。
そんな神様のあっついメッセージを聞いたその後…
ゴス友とそのお母さんと話す予定があった。
私はほとんど話さなかったが、凄かった。
これほどまで“神の武具で身を固める”重要性を感じた事はなかった。
特に“みことば剣”の力強さ。みことば覚えなきゃな…って。
あと、忍耐。
私は話しが同道巡りだったので正直“もういいんじゃ…”って思ってしまった時もあった。
でも本当に思った。
大好きなイエス様を悪い風に思い違いされたくない。
大好きな神様を利用されたくない。
神様が嫌って思う事を人にだってされたくない。
本当の“神様の愛”を知って、感じてほしいって。
何度となく泣きそうになった。辛かった。
最後らへんには初めて本音が言えたって言ってたし、いい交わりだった。
まあ、まだまだこれからだけど。
でも、その様子を見てて、私も親の事を思ったな。
私ははたして親を愛しているのだろうか…って。
正直、今は“関わりたくない”思いでいっぱいだし。
まあ、いいや。
ちょっとづつね。
にしても…
私、すごいいろいろ経験させてもらってるよなー。
すごい恵まれてるっつーか、神様から鍛えられてるっつーか。
なんか、本当、あり得ないな…。
神様、私をどうしようとされているのかな…
でも、いてもたってもいられなくなってるのは確かだね。