サタンの声と惑わしに闘い疲れ…
“もう嫌だ。”と自暴自棄になった時、神様はこう言いました。
“これは私の闘いだ”
と。
出エジプト14:14
“主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい。”
私がサタンの惑わしに負け、もういい!
と思ったとしても実は“負ける”事はないのだ。
すでにイエスキリストの十字架によって“勝利”が決まっているのだ。
マルコ1:32~39
“悪霊どもに、物言うことをお許しにならなかった。彼ら(悪霊ども)がイエスを知っていたからである。(l.24)”
何と言う権威と偉大なる力でしょうか!!!
イエスの御名によるならば、奴らは“物言うこともできない”のです!
“わたし(イエス様)はこのために出てきたのだから。(l.39)”
イエス様は病の癒し、悪霊を追い出すためにこの世に来た、完全なる勝利の主です!
神様は私を黄泉に捨て置かれなかった。私なんて滅びてもいい存在だと思っていたのに、神様はそれを許さなかった。
何で私みたいな奴を哀れみ、救ったんだんだろうか?
多くの人を救いに導きたかったらもっと相応しい人がいっぱいいるのに…。
いつも考えてしまう。
人と比較する度に。
劣等感を覚える度に。
嫉妬を覚える度に。
私が、
“なんで私なんか救ったんですか?”
と言うと、
イエス様はいつも
“あなたのためにわたし(イエス様)は来たんだよ。(愛している)”
と言う。
ヘブル4:15
この大祭司(イエス様)は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試練に会われたのである。
神様からこれをやりなさいと言われ、
私が、
“私にはとてもできないです。”
と言うと、
イエス様はいつも、
“わたしがそんなに信頼できないのか。(いつも一緒にいる)”
と言う。
そんな事言われたら、『NO』って言えないじゃん!
私は神の愛からもう離れられないんだ。
Ⅱコリント5:14
キリストの愛がわたしたちに強く迫っている…
ひとりの人(アダム)がすべての人(私たち)のために死んだ以上、すべての人が死んだのである。
そして、彼(イエスキリスト)がすべての人(私たち)のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。
なるほど…
自分に死に、イエスのために生きる…
コレ、神様のお望みなのね…
キリストの愛から私を離れさせるものは何もない。
なぜなら、私という『存在』が此処に置かれる遥か前に既に神様の愛の御手に『あった』のだ。
Ⅰコリント3:23
“あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものである。”
偉大すぎて、、、
なんか…もう何も言えません。
愚痴ってる私がちっちゃすぎて憐れで馬鹿に思えてくる。
ただ、主に従うだけです。
“もう嫌だ。”と自暴自棄になった時、神様はこう言いました。
“これは私の闘いだ”
と。
出エジプト14:14
“主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい。”
私がサタンの惑わしに負け、もういい!
と思ったとしても実は“負ける”事はないのだ。
すでにイエスキリストの十字架によって“勝利”が決まっているのだ。
マルコ1:32~39
“悪霊どもに、物言うことをお許しにならなかった。彼ら(悪霊ども)がイエスを知っていたからである。(l.24)”
何と言う権威と偉大なる力でしょうか!!!
イエスの御名によるならば、奴らは“物言うこともできない”のです!
“わたし(イエス様)はこのために出てきたのだから。(l.39)”
イエス様は病の癒し、悪霊を追い出すためにこの世に来た、完全なる勝利の主です!
神様は私を黄泉に捨て置かれなかった。私なんて滅びてもいい存在だと思っていたのに、神様はそれを許さなかった。
何で私みたいな奴を哀れみ、救ったんだんだろうか?
多くの人を救いに導きたかったらもっと相応しい人がいっぱいいるのに…。
いつも考えてしまう。
人と比較する度に。
劣等感を覚える度に。
嫉妬を覚える度に。
私が、
“なんで私なんか救ったんですか?”
と言うと、
イエス様はいつも
“あなたのためにわたし(イエス様)は来たんだよ。(愛している)”
と言う。
ヘブル4:15
この大祭司(イエス様)は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試練に会われたのである。
神様からこれをやりなさいと言われ、
私が、
“私にはとてもできないです。”
と言うと、
イエス様はいつも、
“わたしがそんなに信頼できないのか。(いつも一緒にいる)”
と言う。
そんな事言われたら、『NO』って言えないじゃん!
私は神の愛からもう離れられないんだ。
Ⅱコリント5:14
キリストの愛がわたしたちに強く迫っている…
ひとりの人(アダム)がすべての人(私たち)のために死んだ以上、すべての人が死んだのである。
そして、彼(イエスキリスト)がすべての人(私たち)のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。
なるほど…
自分に死に、イエスのために生きる…
コレ、神様のお望みなのね…
キリストの愛から私を離れさせるものは何もない。
なぜなら、私という『存在』が此処に置かれる遥か前に既に神様の愛の御手に『あった』のだ。
Ⅰコリント3:23
“あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものである。”
偉大すぎて、、、
なんか…もう何も言えません。
愚痴ってる私がちっちゃすぎて憐れで馬鹿に思えてくる。
ただ、主に従うだけです。