最近、主のために熱く働いているクリスチャンと話す機会が多い。
んで、その人たちと話してて感じる事は…
“主にあっての楽天的な(主に委ねる)人生”。
言ってみれば、
“神の国とその義をまず第一に求めなさい。そうすれば、全てが与えられるであろう。”
って感じかしら…。

しかし、
この世的な考えは真逆。
“自己達成の人生”
競争社会。勝つか負けるか。出世すること。

あるセキュラーなアーティストの話しを聞くと…“インディーズの時から自分たちの音楽を聞いてほしくて、社会から認めてほしくて頑張ってきた。でも、いざオリコン一位になったら、そこには何もなかった。”って。

“自己達成”の先には何もないって分かってるよ。
でも、頂点に立ってみて初めて分かる事もあるでしょ?
“自分を知る”って事も大事でしょ?
“自己達成”が悪いとは思わない。

私みたいに底辺からの景色しか見てない人は、“自己達成”のために、“生きてるって何なんだ!?”って必死であがいてる人(ラッパーとかロックとか)を見るとカッコイイって思っちゃうんだよね。

何が正しいのか分からない世の中…
非聖書的かもしれないが、MISIAチャンが言ってた、
“自分で見つけた答えしか自分のものにならない。”
と言えるのかもしれない。
クリスチャンの世界でもそう。
いろんな教団・教派があって、いろんな考えがある。
まあ、それは“枝葉”でしかないって分かってるんだけど。
今日のメッセージのいちじくのたとえじゃないけど、立派なクリスチャンとか素晴らしい奉仕とかどーでもいい。
大切なのはいろんな“枝葉”に“実”がなってるかどうかということ。

“あの先生は有名だよ。”とか“あの人の賛美は凄いよ。”とか人に言われても…そんなんどーでもいい。
自分の感覚を大切にしたい。その感覚も神様から与えられるものだけど。

今日のZの賛美…やっぱり私は苦手(笑)
“みんなの歌”かよ!?って思うくらいにはっきり言ってダサい。
でも、人間的な思いで“カンベンだよ…”って思っても、主が働かれているのを感じると、ダサい賛美も見えなくなるから不思議。

そこなんだよね。
同じ方向に向いていれば必ず一致する。
また同じ主からキャッチするものも一致する。

いろんな教会があって、賛美のスタイルがあって、いろんな考えで、意見が合わず争う事もある。
でも、それは狭義的な見方で考えているからであって…神様はそんな狭い、小さいお方ではないのだ!

最近、自分の賛美が喜びではなく、求め祈る賛美ばっかになっていて…
改めて“何で賛美するんだろう?”って考えていた。
私を救い、守り導いて下さるから。
When I Think~今まで主がして下さった事を想う時、賛美せずにはいられない。それももちろん。
でも、結局
神が“在って在るもの”だから。だから賛美するんだって。

示されたみことば…

申命記10:12~22。
“彼はあなたの賛美すべきもの、またあなたの神であって…”
賛美は人間的な感情や都合で変わるのではない。
“私は在る者。”
それだけで神様は賛美すべきお方なのだ。

ぶれない信仰…。
それはいつでも、“神を神とする信仰”に行き着くのかもしれない。
ぶれさせてるのはいつも人間側の都合なのだから。

“自分で見つけた答え。”
それは神様の思いをキャッチする事。
そして、聖霊によって正しくみことばを理解し、みことばに生きる事。

それが血となり、肉となる。


言葉はあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある。この言葉とは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉である。(ローマ10:8)


オーダーメイドの“自分”もっと大切にしよう。もっと愛してあげよう。
ハレルヤ!感謝。