なぜ賛美の後に悩むのかなぁ!?
昨日はコテコテ油だったからなぁ…霊的胃もたれ(笑)?

私は今、主の平安の内に生きているだろうか―。
主の喜びに満たされて生きているだろうか―。
本当の礼拝、マジな礼拝をしているだろうか―。

仕事での苛立ち、将来への不安、人への嫉妬、自己嫌悪、一人暮らし計画への葛藤、習慣化された偶像礼拝や欲との闘い…。
私と神様との間にはだかるぐちゃぐちゃしたいらないもの。
その間を必死にかきわけ、主の憐れみを求める。
十字架が霞んでみえる。

闘う事をやめたら楽になる気がする。そこに本当の私がいる気がする。
“あんたはこんな奴なんだよ…”って!

“気がする”
のはサタンの嘘。

分かってる。

だけど、
時々出てくる不信仰な私。
最近、“敗北”が多すぎる。闘うことに疲れて、億劫になってしまっている。
なぜ闘うんだろう?
なぜ苦しむんだろう?
なぜ悩むんだろう?

賛美の時の私と普段の私が掛け離れてる。
それは分かってる。
それでも賛美し続ける。
それは愚かな事?
賛美によって主の勝利を宣言して…力を受ける。

しかし、日々の生活では敗北する事が多い。
これを繰り返す…これは愚かな事だよね?
何やってるんだろ…私。
本当の私はどっち?

最近“喜び”の賛美をしていない気がする。
“叫び”“祈り”…必死に主に求める。
その思いがあまりに愚かでシンガーズで私が賛美していて聞いてられないんじゃないか…って思う。
私は主のために前に立つ者ではないんじゃないか…って。
祈りだってそう。
自分の醜い、愚かな心を見たくない。
人に知られたくない。
これって本当に自分を認めてあげてないって事だよね…。
隠そうと自らカタツムリになるから、主の祝福も注げない。十字架までも霞んで見えていく。
神様、辛いよ。
どうしたらいいの?

奉仕だっていつの間にか義務的で重荷に感じてしまったり。“喜び”がない。
ユースのミニストリーだって先が見えない。何のためにやっているのか…って。
ある人に“ユースやめたら?今のままだと何やってもダメだよ。”って言われた。
分かってたさ。
分かってるさ。

あまりにハッキリと言われたから…悲しかった。
じゃあどうすればいいんだよ(怒)
なにかにしがみつき、なにかに自分をとどめておかなければ不安になる。
“自分”というものが“空虚”な存在な気がするから。
自分は【プライドの高い愚かな弱い者】だ。
本当にどうしょうもない。
プライドで固める事で自分を守るんだ。
何から自分を守るんだ?
弱さを知られたくない思いから?自己チューな気持ちから?

なぜこんなに苦しいんだ?なぜこんなに苦しむんだ?
人生、不公平?
神様、不公平?

なぜ涙が出ない?
なぜ素直になれない?

最近、笑った?
―最後に本当に笑ったの…いつだろう??


ぐちゃぐちゃ考えすぎなのかなぁ。
本当に大切な事…初心に戻ろう。
あの時の気持ちを思い出そう―。
クリスチャンなりたての頃の私…

私が無条件に神様に愛されている事を知った時。
イエスさまに出会い、受け入れ救われた時の暖かさと平安。
光そのもののイエスさまの姿を体験し、涙が溢れ、ただただひれ伏し、感謝し続けたあの夜。
毎日が、見るもの全てがキラキラしてて、ただイエスさまが一緒にいる事が嬉しくてたまらなかった時の気持ち。
なんだか分からない、全ての事への感謝の気持ちに溢れ、主のために働きたくてどうしようもなく苦しくて…“主よ、何でもしますから、あなたのためにどうか私を用いて下さい。あなたのために働きたいのです。私に何ができるのですか。教えて下さい。”
と必死に涙しながら祈り求めていた毎日のあの頃。

そして、
力強い聖霊を注いで下さったと共に、この祈りに応え、ユースのビジョンを与えて下さった軽井沢での集会の出来事。

そのビジョンに対して、力強い聖霊の助けと助け手を与えて下さった事。
“もうダメだ”と思う時でも…いつも主の備えは万全である事。
たくさんの必要を与えて下さる。
自分が嫌いで愚かだと思ってしまう私にも。
“健康な人に医者はいらない”
愚かな私だからこそ主が働いて下さるんだよね…
ダメダメで弱いところが多いって事は主が働く領域が多いってことだよね?

【弱いときこそ 私は強い。】
やっぱりこのみことばに尽きるよな…。
私の生き方。