プレゼントは物そのものではなく、気持ちをあげる事であると思います。

私が今、牛乳を飲んでいるカップは私が小学生の時に母親と父親に色違いでプレゼントしたものです。
カップを眺めながらいろいろな事を思い出しました。
何かプレゼントしたとき…
母親は照れながらも『ありがとう』と言ってくれるけど、父親は素直に喜んでもらった記憶がありません。
サイズや色に文句をつけ、「いくらだったんだ?」と言い、しまいには「こんなの俺は使わない。返してこい!」と言われる。
灰皿をあげた時は「たくさん吸って早く死んじゃえと言う事か?」と言われたなぁ。

その度に悔しくて…“もう絶対あげない!”って思うんだけど、プレゼントという『物』だけでもいいから『お父さん』と繋がっていたいからかな…!?

(打ってるうちに涙出てきた…。)

関係って一方通行じゃだめでしょ。“係わり合う”事でしょ。気持ちが通じ合う事でしょ。
仮面家族では有り得ない『関係』だよな。

でも、

もう、両親が変わる事に期待はしていない。
よく娘が変わると両親もだんだん変わっていくって聞くけど、もういい。
両親の今までの人生があるし、私は無理矢理変えるつもりはない。
クリスチャンとしてどうなんだろうって思うけど…

はっきり言って『神様、両親を祝福してください!』なんて今の私には祈れません。“赦す”って何だかとてつもなく遠い道のりに感じる。

両親には期待していないけど、天のおとぅちゃんには期待してる。

天のおとぅちゃんは私がその存在を知らない時からプレゼントを『ハイ♪』って差し出してくれていた。
それは私がずっと欲しくて探していたもの。でも、天のおとぅちゃんは私の思い以上に私という存在を探し、忍耐して下さってたんだね。
天のおとぅちゃんは私が気持ちをプレゼントするとすっごく喜んでくれる。
私がもし天のおとぅちゃんの事が嫌いになってしまっても、天のおとぅちゃんはずっと近くで見守っていてくれる。だって『私は決して見捨てないよ。』って約束してくれたんだもん。


私は私の人生を生きます。
主と共に。