立抗櫓の後は、「廃駅跡」

とある北海道の鉄道駅を巡るYouTubeの方の動画を見て、ハマってしまい
いつか駅巡りをしたいなと思ってました。


今回は、旧幌内線 幌内太駅(三笠駅)から別れた支線 幾春別支線の駅跡


官営幌内鉄道幾春別支線は、
当初から幾春別からの出炭を目標として揚げていたが、幌内太駅(三笠駅)より1マイル延伸しただけで建設を中断し放置されていた。その後、幌内鉄道開業後、6年後に延長開業された。(幾春別支線は国鉄後、支線から本線になる。)


開業の順としては、

明治15(1882)幌内駅 開業

 郁春別(幾春別)駅(1888年)→唐松駅(1929年)→弥生駅(1948年)


「旧幌内線 唐松駅」(とうまつ)

かつて北海道三笠市唐松町に設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)幌内線の駅(廃駅)

かつて石炭積み出しの貨物駅であった。が、炭鉱の閉山により貨物輸送量は減少し、廃駅となった。


昭和4(1929)年: 石炭搬出の貨物駅として開業

昭和62(1987)年:7月 幌内線の全線廃止に伴い、廃駅※国鉄民営化は同年の4月


廃駅後しばらくはそのまま放置され、廃墟となり荒れ放題となっていた。が、廃線から15年後の平成15(2003)年頃から地元有志により整備され、現役当時の雰囲気に戻った。


唐松駅の由来

この地域の沢沿いで開拓期に木材を切り出していた人の名前「藤松」(とうまつ)を沢の名前に付けられた。
周りの炭鉱が唐松炭鉱と名乗っていたため、駅名も唐松になる。
(漢字が藤から唐になったかは不明)


駅舎は北海道の木造駅舎としては非常に珍しい巨大なギャンブレル屋根が特徴

古い開拓農家のような建物

幾春別、弥生方向

現在、ホーム側には空地が広がっている。かつてはここには何本もの側線に石炭を積んだ貨車やホッパー(石炭を積み出し)が並んでいた。



駅舎内は、一瞬写真だらけでびっくりしたが、駅が現役時代だった頃の写真が飾ってあった。
終着駅の幾春別駅、旧住友炭鉱立抗櫓、唐松駅にあったホッパー?も見受けられる。


線路を走っていただろうSL

今回、唐松駅の滞在時間5分もなく、写真を撮るだけで背一杯
また訪れたときは駅跡を満喫したい!


「旧幌内線 幾春別駅」
(いくしゅんべつ)

かつて旧住友奔別炭鉱から石炭を運ぶため、専用線が引かれていた。
幌内線 終着駅


明治21(1888)年:官営幌内鉄道の郁春別駅として開業

明治22(1889)年:幾春別駅に改称
北炭幾春別炭砿 出炭開始(現 三笠市立博物館裏の野外博物館内)

昭和32(1957)年:北炭幾春別炭砿が閉山

昭和35(1960)年:住友石炭鉱業弥生炭砿、奔別炭砿と統合(奔別側からの出炭に切り替える)

昭和46(1971)年:住友石炭鉱業奔別炭砿が閉山

昭和62(1987)年7月13日:幌内線の全線廃止に伴い、廃駅


現在、駅跡には石碑が残る。


バス停とバス待合室(トイレ)が設置してある。


~駅名の由来~

駅が所在した地名から
アイヌ語のイクスンペッ」(向こう側にある・川)に由来する。
初めは郁春別の当て字だったが、村が幾春別村になり、駅名も幾春別になる。


今年 秋に幌内線の駅跡に行けたのは、三笠駅、幌内駅、唐松駅、幾春別駅

幌内線は他に栄町駅、萱野駅、弥生駅、幌内住吉駅がある。(岩見沢駅(函館本線)のみ現在も現役の駅)

栄町駅、弥生駅→石碑のみ
萱野駅→駅舎はライダーハウスとして再利用、石碑あり
幌内住吉駅→三笠鉄道村 トロッコ鉄道に利用、ホーム跡が残る


幌内線 廃線から30年
なにもしてなければ自然へと還ってしまう駅跡
残っている遺構は今回訪れた唐松駅のようにいつまでも残っていてほしいな。


以上、これにて三笠編はおしまい!
 
今回はついでなので、ゆっくり見ることができなかった。三笠を調べていると、表にはなってない炭鉱の遺構など結構まだ残っているらしい。

今度はもっと炭鉱を知りたいからジオツアーに参加できればいいな~!