子供のニュースに思うこと・プラス”デザイン”なんかの話 | 本橋ユウコの部屋

本橋ユウコの部屋

漫画家・本橋ユウコのお仕事情報など

イメージ 1

今日の朝日新聞の朝刊に、以前何度かこのブログでも書いた問題が割りと大きく取り上げられていたので、一応、言及しとく責任はあるかなと思いまして。

あ、まだアサヒのネットの方には掲載されてないようなので、仕方ないから不肖・もぐの記事を…。
でも中身大したことないんで、読んでも読まなくても結構ですよ☆

「子供のニュースに思うこと」
http://blogs.yahoo.co.jp/yu_mogumogu/12697079.html

内容は、最近とみにデザインが複雑・華美化してきている一部の子供服によって、深刻な事態になりかねない怪我や、小さな事故にあう例が増えている、という報告を受けてのものです。

で、新聞の方ですが、こちらも「親の八割『危ない』経験~都調査」「ひもやフード、遊具に絡まる例も」と見出しで言ってます。

もぐもこの記事を読んで改めて知ったのですが(不勉強ですいません)、欧米には子供服の安全規格が既にちゃんとあるそうですね。「腰まわりのひもはどちらの端も14センチを越えて余ってはならない(英国)」とか、「3歳以下の子供用の寝間着へのフード装着禁止(同)」、EUでも14歳未満向けの衣類について「(隙間に挟まり抜けなくなることを防ぐため)引き紐のはしに結び目があってはならない」…等。(同紙より抜粋)

日本でも、一部のメーカーが自主的に基準を作る動きはあるようですが、まだファッション業界全体としての動きではないようです。みんな自分とこだけ売れなくなるというのは何より嫌なんでしょうね。。


しかし、この記事を読んでもぐが一番意外に思ったのは別のことです。

また引用します。
「メーカーなど約120社で作る『全日本婦人子供服工業組合連合会』もガイドラインを検討している。ただ、『規制はデザイナーの創作意欲をそぐ』との意見もあるという。」(同紙)


…なんですか、これは??
私の眼の錯覚ですか?

「規制はデザイナーの創作意欲をそぐ」…?

そんなはずはないですよ~。。
むしろ、制約が山ほどある中で、それでも少しでもより良い製品を作ろう、人や社会にとって有用で、しかも、ちゃんと売れるものを作ろう!そう考えるのが本当のデザイナーという人達じゃないんですか?

少なくとも、自ら”デザイナー”を名乗る程の人の中に、「なんか~うるさく規制されちゃったからヤル気でないなぁ~☆だからぁ子供がケガしちゃっても別にいいよねぇ~?(笑)」なんて、いないと思う。
何人かその職業の人に接した経験から、もぐは、そう信じている。
みんな凄く厳しく自らの制作を律している人達だった。自分の仕事に絶対のプライドを持っていた。

これは、その人達を侮辱する言葉になるのではありませんか?



昨日、日記の中でスタジオ・ジブリのことを書いたんです。
知ってる人も知らない人もいっぱい見に来てくれて、みんなとっても楽しく盛り上がってました。

あれほどジブリのアニメが支持される理由を考えてみた時に、私はそれは「誠実さ」と言う言葉に尽きるのではないかと思う。

誰もが幼い頃に一度は夢見たことがあるであろう、「空を飛びたいなぁ」とか、「虫や動物と話が出来たらなぁ」とかいう、素朴な、しかし純粋な願い(それは恐らく、宮崎監督自身のものでもある…)に対し
て、『そんなの子供の幻想だよ。現実には無理、無理!』とあっけなく切り捨ててしまわない。
どうせ子供が見るものだから~、などと甘く見て手を抜いたりもしない。
大人が考えたって単純には答えが出ないような、複雑で難しい問題も、適当にはしょったりしないで、ちゃんと、まっすぐ向き合って子供たちに語りかける。

そんな愚直なまでの「誠実さ」を持ち続けている人達が、全身全霊を込めて創り上げてきたものだから、ジブリ・アニメ、いや、多くの日本のアニメや漫画、怪獣ものなどの特撮映画も含めて、それらは言語や文化的背景をも越えて、世界中で愛されるに至ったのではないでしょうか?

そういう普遍的価値を持つまでになった作品が、仮にでも「子供が不幸になるように」とか、「子供が世の中に夢も希望も全く持てなくなるように」なんてことを願って創られるかどうか?
そう考えればわかりやすいはず。

子供のために作られるものは、たとえどんな商品であれ、子供を不幸にするものであってはならない。
その最低限のルールを守った上で、しかも、企業として売り上げを追求するべきである。

これが私の、今回の一連のニュースに対する考えです。


「ものづくり」こそ、日本という国の産業の原点だと言われます。
資源の無い、狭い国土しか持たないのだから、当然そうあるべきです。
が、そこに私は「誠実な」という一語が絶対に不可欠なのだと思う。
そして、”デザイン”も「ものづくり」の重要な一部であると考える時、当然同じことが言える筈です。

売るために、数字を上げるために仕事に追われている状況は、少しは、私にもわかるつもりです。
だからこそ「制約」を理由に自らの”志”を放棄して欲しくない。…いや、私自身がしたくないと思う。


これからの世界の多くの問題を解決するために、日本の技術や知恵が絶対に必要になる時が来ます。

素材開発や、バイオなどの分野では、既に日本は世界の先頭グループで闘っているのだそうです。
それらは必ずしも利益だけを追求して始められた開発ではなく、環境や資源、人間の健康などの向上を目指して孤独な研究を続け、それらが今、やっと実を結び始めているのです。

文化だって全く同じことが言えるのではないでしょうか?
この絶望的な不況の十数年の間、多くの日本人が経験してきた「格差」や、急激な「少子化」、「高齢化」等の諸問題は、これから世界が追体験することになる、人類全体の大問題です。

そこから私たちが見出したこと。思い知らされたこと。

それでも、手の中に残ったもの。

こういうことを、そろそろ我々も世界に発信していくべき時代なんじゃないでしょうか?
いつまでもどこかのコピーだけが上手な国民だ、などと言われているのではなくて。
研究者も、ビジネスマンも、工場労働者も、デザイナーも、物書きも、教師も、医療関係者も、主婦も、ジャーナリストも、販売員も、メディア関係者も、政治家も、農業関係者も、漫画家も。
皆がそれぞれの持ち場で、誠実に、自分の仕事をする。

この世界がほんの少しでも良くなるために力を尽くす。
悲しむ人が、一人でも減るように、と願う。



私は、日本がそんな国になってくれたらなぁ、と思うのです。



今回のことを通して、言いたいのはそれだけです。