またロボットの話 | 本橋ユウコの部屋

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さっきまでテレビで「アイ・ロボッ○」とかいう映画を観てました。多分アメリカ映画?

CGロボットがうじゃうじゃ出てきて、主人公を攻撃してくるあたりはちょっと恐かったです。
何が恐いって、ロボットの顔が…(笑)。

なんだろね~あれは。どうしてもアメリカのCGものって、顔が可愛くないんだよね~。

いや、別に悪者だったりもするから可愛くある必要も無いんですが…。



大きな事故でトラウマを負ってロボットが嫌いになった刑事が、ロボット開発者の変死事件を追う内にある重大な事実を発見する…みたいな筋なんですが。

途中までは結構深いかも、とか思ってみてたんですが、最後の方、例のCGロボットがわんさと出てきてビルの壁を虫みたいによじ登ってるあたりでなんか妙に興ざめしてしまったのですね。
なんでかわからないんですが。やっぱ可愛くないから?(笑)

でも、最後のワンショットはかなり印象的で良かったかと。あすこだけ。
この監督が本当に撮りたかった話って、別にガンガンのアクションとかでなくて、実はこの辺なのでは?とか思うくらいです。(あの後、彼らはどうしたんかな~?)
興味ある方はDVDでもご覧になってみて下さい。


この映画、似てるシーン多いからてっきり押井守監督の「イ○センス」に影響されてんのかと思ってたんですが調べたら発表時期あんまり違わないから微妙ですねぇ。
(あ、熱烈なファンの方もしいたらごめんなさい。と、早くも謝っておく。。)


「イ○センス」は映画館で観ました。

私的には、あっちのロボット描写の方が圧倒的にイイ感じです。絵が美しいのは勿論ですが。
なんていうか、”モノ”らしいというか。


文楽という、人形を人が操って物語を語ってみせる芸能がありますよね。
あれで、登場人物が死んだことを表現する時に、演者(?)が人形をそこに置いて去るわけですよ。
ことさら”死体らしい”ポーズ取らすとかでもなく、まさに放置する。
その、置かれた人形の有様が、物凄く「生きてない」感じがして。
観ているほどにじわじわ恐くなるのです。

だからこそ、動いている人形に「生」を感じることが出来るというか…。

「イ○センス」のロボット描写には、それに近いものがあったように思うのです。
たぶん製作する側が相当意識して、その”モノ”っぽさを作りこまないとああは見えないはずなので。

撃たれて壊れた瞬間にガクンッと関節から崩れ落ちる、量産型ロボットの表情の無さなど。
そこには逆説的に「魂」の存在、のようなことが表現されていたのではないかと。
”モノ”とは違う人間としての生の意味、とも言えるでしょうか。


今日観たアメリカ映画はちょっとそのへん弱かったかなと。
ロボのアクションが近作で言うとスパ○ダーマンっぽすぎるというか…(笑)なんか乗れない…。
「ター○ネーター」の第一作のラストあたりの方がロボ的にはめちゃ恐かったです。。

やっぱりロボットはモノっぽく壊していただきたいかと。断末魔で芝居しすぎ?
まあ、アメリカだからな…。


私的には、あの話は「ロボットは合理的に考えて生存可能性のパーセンテージが高い方を助けるので、子供を見捨てて(とは相応しくない言い方ですが)大人を助ける方を選択したりする」ってあたりをキモに作って欲しかったんですけどね。いつの間にかそれ消えてたんで。
でも、そういうの娯楽作品には向かないかな。



ひとの仕事を批評する前に自分のつくらにゃ~って感じではありますが…(笑)。

ハイ、頑張ります。。ボロクソに言われるのも覚悟して。