レオナルド・ダ・ヴィンチの頭の中は | 本橋ユウコの部屋

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いちおう、電車の車内広告です。

ダ・ヴィンチ展といいながら、真筆のまともな?完成作品がほぼ一点のみという…ある意味、素晴らしく挑戦的な展覧会でしたが(笑)。内容はとっても面白く、興味深いものだったので、まだという方がいたら是非どうぞ。美術関係ない人にもおススメ。(特に工学系の人とか!)


これまで私は「レオナルド・ダ・ヴィンチって本当にいかにも天才ってカンジで、どうせ彼の考えてる事なんかオイラのような凡人には計り知れねえのだ。だから天才ってゆうんだ」と、一歩引いてました。

だから、今回の展示も「まあ、そうは言っても巨匠だしな…チェックしとくか」くらいの軽い(というと失礼ですが)気持ちで行ったんですよ。日本では美術館とか映画とかやたら高いんで、なるべくハズレが無いように有名どころを、見る側も、展示する側も選びがちなんですね(自嘲)。安くしてくれ~!

今回の東博での展示は、もともとイタリアの美術館で企画されたものをほぼ忠実に再現したようなお話でしたが。なるほど、いかにもと思いました。
ていうのはね、とことん「レオナルドは一体何を考えてこれをやったのか!?」みたいな内容で。
これはイタリア人が、同じイタリア人のことを考えているからこそありうる切り口ではないかと思った。

ええと、日本で例えると、北斎を語るときに「若い頃はそんな売れてなかったらしいよ」とか、「引越し魔だったらしいよ(あれ?これ違う人だっけ?汗。)」とか普通に言えるじゃないですか。
でも、もし欧米の人で浮世絵とか北斎とかを崇めまくってる人だったら、こういう考えは出ないでしょ。
それと同じかなって…。

一例を挙げると、レオナルドって天才画家と称される割に、純然たる”絵描き”としてのみ活躍していた時期って、実は驚くほど少ないんですよ。ていうかほとんど無い!?(いや、無くはないがよ…)

各地の領主に保護されて研究したりしてたのは橋とか堤防の建築技術とか、意外なところでは兵器の開発なんかもしてたりしました(むしろそっちが専門?ていうくらいの勢いで)。
会場に木製のクレーンとか、自作の楕円コンパスとか、レオナルド自筆の図面を基にした模型が展示してありまして、もぐはあいにく理数系さっぱりな人ですけど、それでも「これ現代でも通用するんじゃないか」って思うくらい精巧な出来栄えで。万能の天才と呼ばれる所以ですね。


レオナルドも、若い頃には師匠がいて、その師匠の工房で大勢の弟子と一緒に製作に携わっていたらしいんですが。この頃、たぶん二十歳かそこらで師匠の絵の横に描いた、脇役の天使の男の子があまりに美しく完璧であったために、師匠がすっかりやる気を無くした…、という有名な伝説がありますね。

そんだけ描ける”早熟の天才”だったら、さぞかしデビュー早かったんだろうな、とか思いませんか?
これが、そうじゃないんですよ~。もぐもびっくりしたんですが。
なんと彼は、三十過ぎまで師匠の工房に残って仕事もらってたという!

考えられるのは、おそらくレオナルド君、性格に問題があったんじゃなかろうか、と…(笑)。

文献とか読んでも、なんか、いつも一人だったっぽいイメージありますし(生涯独身だったしな)。
日記を人に読まれないように鏡文字とか暗号みたいのまで考えてたし。う、ネクラっぽい…。

あの当時も、やっぱりクライアントの意向に忠実に描ける人、ってのが喜ばれたと思うんですよ。でも、レオナルドの作風を知れば知るほど、明らかにそんな感じじゃない。

植物でも人体でも、納得いくまで調べたり実験したりで、なかなか描き出さないし。
ほとんど完成してるのに、気に食わないと平気で塗りつぶしちゃうし。
どんなテーマでも自分の興味の赴くままにしか描かないし…(それは当然の部分もありますが)。

この時代、宮廷や大商人から大作の絵を依頼される人は、ほぼ100%といって良いと思いますが、弟子をたくさん抱えて工房をかまえている売れっ子画家に限定されていました。

工房をかまえて親方になるには、それなりに指導力とか、政治力とか、商才なんかもある程度は必要じゃなかったかなと思うんです。大工さんとかと同じで、全部一人で完成させられるわけじゃない以上、抱えた弟子に技術を教える場面もあるだろうし、難しい仕事を任せる度量もいる。
大勢を養うためにはコネを駆使して大口の依頼を受け続けなければならないし、大金持ちのお客さん達のわがままにもつねに笑顔で応じられなければならない。

こういうの、レオナルドって人はあんまり向いてなかったんじゃないかな?ちゅうのがもぐの印象。

ていうのもね~、若きレオナルドがお世話になっていた師匠(う~名前が出てこない…。苦)の描く絵がなんていうか…すごい、いい人そうな絵、というか…(笑)。
いや、実際いい人そうな絵なの!ほんとに!ちょっと間が抜けてるというと失礼か…。ワリと普通っぽいというか…レオナルドと比べるからいかんのか?(笑)。でも、もぐは嫌いじゃないです、こういう人。

多分、だから、レオナルドも比較的、居心地良かったのかなと。三十過ぎまで残ってたくらいだから。

大体、普通っぽい(笑)とかいっちゃって失礼だけど、この人はこれで凄く偉大だったと思うのですよ。あのレオナルド・ダ・ヴィンチをまともに育て上げたんだから!
並みの絵描きだったら、絶対、才能に嫉妬して「こいつ潰してやろう…」とか考えると思うし。
やっぱり、いい人だったんだろう、と、もぐは勝手に思っている。


でも、そんなレオナルドもいずれは一人立ちするわけで。
やっぱり工房をかまえて…というのは向いてなかったようで、庇護してくれる権力者のいる土地から土地へと生涯、渡り歩くことになります。芸術にはどうしたってたくさんのお金が必要ですから。

そんな暮らしの中で膨大な手稿を残してて、それが今日に伝わっているわけです。

手稿とは、日記のような手記のような…とにかく、つれづれなるままに思いつくこと調べたことその全てを書き留めた、レオナルドの精神の全記述、みたいなものです。

単なるメモの集まりといっては何なんですが、要はそういうものです。これがあまりの完成度の高さから所有者がみんな宝のように大事にして受け継いできたために、ただの紙片でありながら長い年月を経ても驚異的に良い保存状態を保っている。今もレオナルド研究の基礎となる資料です。

そこに、彼は自分の全てを書き留めようとした。
…その膨大な資料の山から、私が感じ取った彼の人となりというのは…。


とにかく「なぜだろう?」と考え続けた人、です。


驚異の神童でも、孤高の天才でも、無神論的な時代の超越者でもなく、ただ「…なぜ?」の人。
「なぜ」かわからないから考えたり、調べたり、実験したりした。
ひたむきに、そういう行為をし続けられた、でも、決して異常だったり、理解を絶した人ではない。
ある意味で”ものすごく真面目”な人というか…。

例えば、洪水のニュースに接したレオナルドは「水の力って凄いな!」と考えるわけです。
水、水、水…あらゆる水の形態を考える。荒れ狂う波頭のかたちを何枚も何枚もデッサンする。
洪水に耐える理想の堤防の設計図を試行錯誤して書く(精巧なデッサンつき)。
水が蒸発すると水蒸気になる、っていうんで熱気球を設計したりする(デッサンつき)。
水のような透き通ったものを通り抜けた光の屈折の具合を実験する装置を考える(デッサンつき)。

光といえば、色の違った光源に照らされた球形の光の移り変わりを表にしてみたりする。
曲面に巨大な壁画を描くためのスコープ?みたいな何か良くわからない装置を設計してみる。
それ以前に、そもそも眼球に物体が映りこむ仕組み、を知るために死体の目玉を解剖。

死体の解剖は相当の数を参加してたようです。「解体新書」みたいな構図の内臓の透過図があるんだけど、これなんかハッキリいって現代のレントゲン写真の十倍くらいわかりやすい!デッサンで!

また、有名な人力飛行機(今は飛べないとわかっていますが)の設計図がありますね。
あれは鳥が出てくる絵を描くために、翼の構造を徹底的に勉強したことから来ていると思います。

鳥の翼を、羽の、その羽毛の一本一本にいたるまで緻密にデッサンする。
羽毛の部位による毛質の違いにも注目する(デッサンつき)。
翼の骨格を分析し、模型の設計図を描く。多分、じっさいに模型を作っている。
模型を元に色々考えた結果、「これ、人も飛べるんじゃねーの?」と考え、また設計図を描く。
鳥の翼を離れ、奇想天外なデザインにたどり着く(デッサンつき)。

とまあ、このように飽くことなく思考を続けるわけです。

植物学に精通したのも、「何だかわからん草は描きたくない」というごく単純な理由からですし。
それが、やり始めるととことん調べ尽くして、デッサンという形で完全に自分の血肉に取り込んでしまわずには置かないという所は、やはり本当に凄い人だと思いますが…。
でも、彼がそうした理由というのは、凡人の頭でも、なんとなく、わからなくはない。

現代だったら「これ、わかんないな」と思ったら、パソコン開いてグーグル~♪で終わりですよ(笑)。
このイメージ残したいな、と思ったら、コピーとるか、スキャナかければいいことだし。
何か新しいものが欲しいと思ったときに、いちいち設計図から始めることもありませんしね。

でも、彼の時代にはそんなものはなかった。
だから、わからなければ自分で実験して調べるしかないし、欲しければデッサンするしかない。
それが「万能の天才」の正体ではないかと。

とはいえ、同時代に彼の他にここまで徹底的にやれる人も、そうはいなかったわけですから。
その意味では、レオナルドの「なぜ?」の総量は、まさしく天才的だったと言えます。



どうしてレオナルドがそんなに「なぜ?」を追求せずにいられない人間に育ったのか。

私は、それは彼の生い立ちに関係があるんじゃないかと思うのです。


レオナルドの父親は公証人という職業についていたと記録に残っていますが、レオナルドの母親とは正式の婚姻関係になかったために、彼は父親の家業を継ぐことが出来なかった。

つまり、私生児だったんですね。

それで、まだ幼いうちから当時売れっ子だった画家のもとへ修行に出されたのです。
絵描きという職業には家柄も、生まれ育ちも関係ありませんから。才能が全ての世界です。
…結果として、このことが世紀の天才レオナルドを生んだわけですが。


でも、果たしてレオナルドの心の中はどうだったんだろう?


まだ年端もいかない子供のうちから、彼はこんなことを考えていたのではなかったか。

「なぜ、母は、時々悲しそうな顔をするのだろう?」
「なぜ、父は、母や自分と一緒に暮らさないのだろう?」(母だけ別だった可能性もありますが…)
「なぜ、自分の家族は、よそと違うのだろう?」
「なぜ、自分は父の仕事を受け継ぐことが出来ないのだろう?」
「なぜ、自分だけが、遠くへやられるのだろう?」
「なぜ、自分はこの世に生まれたのだろう?」
「なぜ、人は生きるのだろう…?」

あるいは天才レオナルド・ダ・ヴィンチを本当の意味で生み育てたものは、家庭の不幸と、深い孤独感だったのかもしれませんね。

それらこそが、彼の全ての「なぜ?」の源だったはずだから。



極めて内容豊富な展示を全て見終わった後、少し、それまでよりもレオナルドという人が身近に感じられるようになっていました。大天才に向かって、

「ねえねえ。今度、一緒に鍋やろうよ~♪レオちん!!」

とか言ってみたくなるくらいに(笑)。