一歩入った先は、お墓がいっぱいでした | 本橋ユウコの部屋

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ここは六本木です。

それも、例のいちばん賑やかな交差点とほとんど離れてはいません。

バーやディスコや飲み屋や料理屋が入っている商業ビルの雑多な通りの一歩裏手には、何の前触れもなく、このような場所が、そこだけ不思議な静寂に包まれて存在しています。

ここに来てすぐ存在には気づいてはいたのですが、なかなか写真に収める決心がつきませんで…。
でも、もっとこの土地をよく知りたいと思ってブログにも書いているのだし、そういうつもりでなら、きっと「ここの皆さん」にも理解していただけるのではないかと。

ちょうど良い具合に、うっすら明るい曇り空です。
青空の下で撮るよりはふさわしいかも、と思ってさっき撮影して来ました。
…それでも、ちゃんと頭を下げて「失礼しました」と謝っておきましたけども。。(何分ビビリなので)


東京では、お金のある人々ほど高台の高級住宅街とか、高層マンションの上層階とか、とにかく高いところに住んでいるようです。

もぐは高田馬場あたりに住んでいるのですが、そこから学習院大学の方に散歩に行って、旧目白通りからふと新宿方面を振り返ると…。眼下に家がたくさん、たくさん見えました。
通りは高台に沿って走っているので、その下にある古びたマッチ箱みたいな小さな住宅がびっ~しり密集して建っている様が、何だか寄り集まった地衣類みたいに見えてきて、複雑な気分になりました。

低いところはどうしても水はけとか、風通しなんかも良くないので、江戸時代から貧しい人が住む地域とされてきたようです。労働者用の長屋とか。もしくは人の住まない沼地とか。

東京には渋谷とか四ツ谷とか雑司が谷とか、~谷がつく地名が多くありますね。
そのほとんどは戦後になって急速に発展した地域であり、江戸時代には沼とか田んぼだったようなことを本で読みました。(ちなみに新宿や池袋もかつてのド田舎!~宿は宿場町とか、周辺部に多いかな?)

高台とか、風通しも水はけも交通の便も良いところに、大藩の大名の上屋敷下屋敷があり、それらの広大な土地が後に駅とか大学とか工場とか、大型の施設になっていったようですね。
旧防衛庁の跡地はミッドタウンになりましたが、あれももともとはどっかの大名の持ち物だったかな?
(すいません、気になる人は自分で確認してみてください…)

そんなような東京の土地の来歴にも興味は尽きませんが、そうやって低いところ低いところと来て、一番低いところ、これ以上は下がれない窪地みたいな場所にはどんな人が住むのかなぁと思ったことがあり。

ここに来て見つけました。
いちばん低い場所には、死者たちが住んでいらしたのですね。

確かに「もう水はけも風通しも関係ないから」と人から思われかねないのももっともではありますが…。
(ごめんなさい。。そんなことありません)

でも、もぐが思ったのは、こんなに周りが発展した後でも、ここは動かないんだな、という事で。
ここに眠る人達に関係のある人達が、その眠りを乱したくないと強く願っているのでしょう。
それでいいんだと思います。

国際色豊かな大都会のど真ん中に、突然こういう場所があってもいい。
光ばかりがこの世界を形作っているのではないと、この眺めは教えてくれるから。
願わくば死者達の平安な眠りが、これから先もずっと続きますように…。


今日は突然お邪魔してしまって、どうもすみませんでした。。