これは、桜井識子さんが、京都にある伏見稲荷さんに行かれた時の、胸詰まる、言葉にならないお話です。
是非、一人でも多くの方に読んで頂きたい、
真剣に考えて頂きたいお話です。
識子さんが、メインの参道でないところを歩かれていると、『弘法ノ滝』というところに着きました。
密集した石碑が苔むしています。
伏見稲荷にある一ノ峯の裏側もそうですが、稲荷山にはあちこちに
石碑が集中して立てられているエリアがあるそうです。
その石碑には、
『○○大明神』とか、『○○大神』と刻まれていて、その名前もさまざま。
石碑だけでなく、小さな祠や、狛狐の置物も沢山置かれているそうです。
これは、『お塚信仰』と云われるもので、お稲荷さんを信仰する人が、
私的な参拝場所として造っているそうです。
現在は、その殆どが放置されていて古くなっており、狛狐などは苔で、まるで緑の毛がフサフサと生えているように見えるそうです。
明治以降に盛んになったらしいのですが、その7~8割は、今では誰にも参拝してもらえないどころか、手入れすらされていない状態だそうで、そんな寂寥とした風情のお塚は、なんと一万基あると言われているそうです。
『弘法ノ滝』も、お塚信仰の場となっていて、沢山の石碑や祠、
もはや、緑になってしまった狛狐だらけだそうです。
ここは欧米人の情報誌に載っているのか、日本人やアジア系の人はいなかったようですが、欧米人はそこそこいて、せっせと撮影していたそうです。
おそらく、『わびさび』の世界とも言えなくもない雰囲気だからでしょう、と識子さんは書かれています。
白い狐像が黒く汚れているもの、
クモの巣が張っているものもあったそうで、苔まみれになっている狛狐をじっと見ていた識子さんは、
その『打ち捨てられた感』に、何とも言えないお気持ちになったといいます。
識子さんは、そこで伏見稲荷さんと繋がり、お話を聞かれたそうです。
伏見稲荷さんによると、
私達人間には、信仰が続かない人が少なくないそうです。
お稲荷さんは、私達人間のために一生懸命働いて、私達の一方的な願いを叶え、身を守って下さったり、私達の世話や面倒も、一生懸命に見て下さいます。
なのに、、、。
私達人間側は、
「願いが叶った時点で、もう来ない」
「お金持ちになると、もう来ない」
「参拝の情熱が冷めると、もう来ない」
「飽きると、もう来ない」
そうやって、あっさり信仰を捨ててしまうケースが少なくないそうです。
そうして、
可愛がっていた人間に
打ち捨てられたお稲荷さんは…、
徐々に力を無くしていくんだそうです。
神社が取り壊されたりして、ご祭神から外れたお稲荷さんは、縛りが無くなるので、伏見のお稲荷さんのご眷属にしてもらえます。
伏見のお稲荷さんは、眷属として使うことにより、お稲荷さんを救っているのだそうです。
そうして救えるお稲荷さんは、眷属にするけれど、それが出来ないお稲荷さんは……。
識子さんは、その先は悲しくて、とても聞けなかったそうです。
そういう人間の身勝手さに振り回された挙句、お稲荷さんは、はかなく消えていくいくのではないか…。
涙があとからあとから流れてくる話で、胸が痛くなりました。
そう識子さんは書かれていました。
これが山岳系の神様なら、神様の種類が違うので、問題はないそうです。
でも、お稲荷さんという神様は、私達の信仰がなくなると、ただただ、その力を低下させていくしかないのだそうです。
神田明神におられる平将門さんの終焉地である、『北山稲荷さん』も、鳥居は立派だったそうです。
ということは、それを奉納した人がいる訳で、信仰していた人が多かった時は、『北山稲荷さん』も一生懸命に働かれていたそうです。
桜井識子さんのブログでの、『北山稲荷さん』の記事はこちらです。
『北山稲荷さん』の写真が載っています。
詳しくは、識子さんの本『神様と繋がる神社仏閣めぐり』に書かれています。
於菊稲荷さんを愛してずっと守ってらっしゃる『お菊さん』のお話も、涙なくしては読めないお話です、必読モノです。
けれど、人々の足が遠のき始めると、
境内は草に埋もれてゆき、最終的に、誰も参拝しなくなってしまった。
このような状態になった神社は、眷属の質も低下し、その神社のご祭神であるお稲荷さんの神格によるそうですが、中には野狐にまで落ちぶれる眷属も出てくるそうです…。
これは、願掛けを叶えて欲しい時は、足繁く通ってチヤホヤし、願い事が叶うと、もしくは参拝に飽きると、さらには願ったような大金持ちにしてもらえないから、「もういいや」と、お稲荷さんを捨てた私達人間の自分勝手な振る舞いの、間違いのない結果です。
難しい問題だけれど、『信仰は一代限り』という部分も影響しているように思う。と、識子さんは書かれています。
『いつも私達人間を一心に想ってくれる神様を、
私達人間が捨てる』
神様にとっての、私達人間に対する想いは、私達が犬や猫、動物を可愛く、愛しく想う気持ちと、同じなのだそうです。イヤきっとそれ以上なのでしょう。
可愛くて仕方のない私達を、ずっと変わらずいつも一心に守ってこられたのに、私達人間から打ち捨てられ、忘れられていったお稲荷さんや、ご眷属さん達は、一体どれほど、また私達が笑顔で参拝に来てくれることを、本当にどんなに待ち望んでおられたことでしょう。
誰も来なくなって、お稲荷さんや、ご眷属さん達は、一体どれほど淋しく、そして哀しかったことでしょうか…。
涙を拭き拭き、鼻をかみながらここまで書いてきましたが、
このことについて、私も勿論ですが、
一人でも多くの方に知って頂き、
どうか真剣に考えて頂きたいです。
これからはもっともっともっと、
「お稲荷さーん、神様ーまた会いに来ましたよー」って、
大好きな気持ちまる出しで、
大好きなお稲荷さんや神様に会いにいこう
私の身体が、いつか言うことを聞かなくなるまで。
私は、心からそう誓いました
≪追記≫
私は『ゆほびか』を参考に、この記事を書かせて頂いたのですが、
ブログをUPした後で、このお話が、桜井識子さんの『京都でひっそりスピリチュアル』という本に掲載されていることに気づきました。
文章は変えてありますが、このブログを取り消すべきか…真剣に悩みました。
でも、このお稲荷さん達の哀しみ、淋しさ、苦しみを、一人でも多くの方の知って欲しい、真剣に考えて頂きたい。その思いは絶対に同じだと思うので、きっと識子さんも、伏見のお稲荷さんもご理解下さるハズだ…と思い、またそう願いながらこのままUPしておくことにしました。
桜井識子さん申し訳ありません!!
この桜井識子さんの『京都でひっそりスピリチュアル』、京都の神社仏閣巡りの際にも、私は実際にとても役立っています。
私は持ち歩きたかったので、Amazonkindleで購入して、いつもスマホを見ながら地図代わりにさせて頂いています。
本当におススメです
福岡県京都郡にある『國埼八幡神社』さんの再興の為のご支援、ご協力ありがとうございました
目標額を達成されました
10月15日迄、ご支援可能ですので、もしまだの方は、引き続きどうぞよろしくお願い致します