条件とか制限とかって、ついつい嫌なイメージがつきやすいけど

よくよく思い出してみると条件とか制限から得られてものって偉大だと思った

例えば、小さい頃、遊ぶと言ったら外遊びだった。

それこそ木登りとか、虫を捕ったり、探検したり。

これだけ聞くと制限がないように思うかもしれない。

でも小さいながらに制限だらけだったのを覚えている。

 あそこに入るとオヤジに怒られる
 行っていいエリアはあそこまで
 遊べる時間も何時まで
 遊びたい友達は習い事
 自分も習い事がない時間や曜日だけ
 お金はない
 
そんな感じ。

それでもその条件の中で、「じゃあなにができるか」を自分たちで考え勝手に楽しんでた。

ゲームみたいに与えられる楽しみじゃない。
自分で考え、創り出す楽しみ。

これって、今になって本当に役立っている

なんせ身に付いているから

自分で考え、創り出す楽しみが


こうした環境からだけ得られるわけじゃないと思う。

条件や制限はそこら中に。

お金がいくらまでしか使えない

そんな制限があるからこそ、「どうやって楽しもう」「なにに使おう」「いつ使おう」

と考える事ができる、工夫する力がつく


校則はやぶるためにあるなんて言う人もいるけど

校則があるから、それをかいくぐることを必死に考えるわけで

いいか悪いかはそれぞれの判断として

クリエイティブなことには変わりない。


与えられる楽しさも大いに結構だけど

自分で創り出す楽しさがないと

与えられないと楽しくない人間になっちゃうね。


いつでもできるトレーイング

制限や条件をどう楽しむか。


今日の本気が未来を描く