■京都府立大学(京都市左京区下鴨半木町)
北には北京大学(中国)があるし、東には東京大学(日本)がある。南にもやっぱり南京大学(中国)がある。
じゃあ、西京大学はどこにあると思いますか?
答えはココ。京都市左京区にあったんですよ。
それが改称して、京都府立大学になったんですね。
ルーツは1895年創立の京都府簡易農学校(1904年に府立農林学校=現代の高校相当=となり、44年に府立高等農林学校=大学相当=に昇格)と、1927年設立の府立女子専門学校(現代の大学相当)にさかのぼる。
両校が戦後に合併して、新制の府立西京大学になった。
1959年、創立10周年を機に京都府立大に改称、というわけだ。
それはさておき京都は教育に力を入れていて、人口規模に対する有名大学の数は、関西では独り勝ち、圧勝、と言えるだろう。
国立では京都大。私立では関関同立の半分。産近甲龍の半分。大阪・兵庫に圧勝だ。
令和の人間から見れば、古都・京都に文化機関が集中するのは「当たり前」のように思えるだろうけれど、実はそんなことない(らしい)。
明治維新の後、天子様に去られてしまった京都人の危機感はそれはもうただ事ではなく、住民の寄付を元手に府立医大や農林学校やら女子高専やらと、学術振興策に大層力を入れた。
第二帝大(京大)も、実は大阪に作られるはずだったのだが、京都が土地と資金を提供するという破格の条件を出したため、京都に決まった歴史がある。
ちなみに第二高等商業学校(現在の神戸大。第一高商が一橋大)も、大阪と神戸で誘致合戦を繰り広げた挙句、神戸に決まった。戦前は日本最大の経済都市として繁栄した大阪に油断があったと言っては、言い過ぎだろうか。
じゃあその京都が、現在のようなブランド都市になったのはいつからかというと、それは良く分からないのだが、個人的な意見(思い込み)で言わせていただくと、1970年スタートの国鉄・ディスカバージャパンキャンペーンと雑誌「アンアン」創刊(1970年)、「ノンノ」創刊(1971)、そして1980年から本格化した明石家さんまの東京進出だろう。
というのも、若者文化の変遷に詳しい洛中出身の古老に聞いたのだが、1960年代の京都の若者は「京都はしみったれた、衰退まっしぐらな田舎町」だと考えていたそうだ。ほんとかどうか知らないが。
その古老、東京で一旗揚げようとしたのだが、東京の業界人から「その変な訛り、直さないとだめだよ」とたしなめられ、若かりし古老も「さもあらん、さもあらん」と、素直に納得したという。
そんな京都イメージ好転のきっかけとして言われるのが、70年代の女子大生に流行った旅行ブーム(アンノン族)。
ただしこれは、この古老に言わせると、あくまで「古びた昔の日本」として京都が再発見された「過去向き」向けのものであり、京都を含む関西が「現在も生きている文化圏」として再評価されるのは、さんまを待たねばならなかったという。
さんまの登場により、京都弁を含む「関西弁」は「田舎の訛り」ではなく、東京に匹敵するナウでヤングな文化圏の象徴として認知され、京都の若者も、京都に前向きに誇りを持つようになったのだという。
本当か?
交通メモ
京都府立大学
住所: 京都府京都市左京区下鴨半木町
JR京都駅から地下鉄烏丸線で15分、北山駅で下車して、徒歩12分。キャンパスの隣は府立植物園。癒される。帰りは歩いて鴨川デルタ経由で南下してみては如何?