■長崎大学・文教キャンパス(国立・長崎市文教町)

長崎大学のメーンキャンパス。

 

 

そのシンボルと言えるのが、環境科学部(旧教養部)の時計塔と大壁画だ。

 

大学のシンボルとなる建物にするため、国の予算に頼らず、県民から寄付を募って作ったのだという。

 

 

力が入っているぜ。

 

1966年竣工。有田焼陶片によるモザイク。

 

 

モザイク!もうそれだけで100点満点だ。

 

デザインは、当時の長崎大施設部長・夏秋克己氏。

 

ググっても正体不明の人だが、良い感じのモザイクだ。細工も細かい。

 

 

もう一つのシンボルが、正門すぐわきにある中部講堂。

 

 

ちゅうぶ、ではなく、なかべ。

 

 

ベイスターズの前身・大洋ホエールズの名物オーナーでも知られた大洋漁業の創業家社長・中部謙吉の寄付により建てられた。

 

実は全国に「中部講堂」は3つある。水産学部のある長崎大と、東京海洋大(旧東京水産大)、水産大学校だ。

 

いずれもかなりデザイン水準の高いモダニズム建築。

 

 

中部は私財を投じて神奈川工科大学も設立しているのだが、そこもかなり高水準な建物が立ち並んでいることで有名だ。

 

 

どうも中部は相当な建築趣味の持ち主だと推察されるのだが、そのあたりはっきりと情報がない。自宅は松田軍平に頼んだそうなのだが。

 

 

中部講堂の設計もどこがやったのは出てこない。

 

 

ま、それはさておき、いい出来の講堂だ。1962年竣工。

 

 

コルビュジエっぽいモダニズムデザインだが、すっきりさっぱり胃もたれせず、長崎の空にふさわしい。

 

 

そんな素敵な建物あふれるキャンパスについて、最初に「メーンキャンパス」と書いたが、実は嘘だ。

 

 

嘘ではないが、歴史的には正しいとはいいがたい。

 

 

戦後に生まれた新制長崎大は、いくつかの旧制教育機関が合体して生まれたわけだが、その中でも「幅を利かせていた」保守本流と言えるのが、旧制長崎医大。帝大に次ぐ名門校グループ「旧六医大」の一角だ。

 

 

対抗馬が長崎高等商業。第一高商(一橋大)、第二高商(神戸大)に次ぐ、第三高商として発足(諸説あり)した名門校だ。

 

 

で、この二つは今も独自のキャンパスを構えており、ぶっちゃけ、「その他の学部」が集まって、戦後に気分一新、新たな日本を建設すべく立ち上げたキャンパスなわけだ。

 

 

最近は流行りのデータサイエンティストを養成する情報データ科学部を新設したりもしている。

 

 

 

  交通メモ

 

長崎大学・文教キャンパス(国立)

 

住所: 長崎市文京町

 

JR長崎駅からバス・市電と徒歩で20-30分ぐらい。医学部の坂本キャンパスからさらにちょっと北側に向かった位置取りだ。坂本と文教の両キャンパスの間ぐらいに爆心地があって、各種モニュメントや資料館、公園等がある。