■番外・豊岡市役所(兵庫県豊岡市中央町)

 

1927年竣工。設計は大蔵省営繕出身?の建築家・原科準平。

 

 

見れば見るほど、謎めいている洋館だ。

 

壁面装飾はアールデコながらもクラシカルな芯は残した「お役所的な建物」。

 

 

なのに、壁の塗りは、なぜか「民家風」のスパニッシュ。

 

 

コーニスの上に3階が展開し、その上に瓦屋根。

 

だいたい、この屋根は何だ。

 

 

左右は寄棟屋根なのに、中央部は一段高くなった切り妻屋根だ。

 

という、あまり見ない感じの建物になったのも訳がある。

 

 

竣工当時は、2階建てで中央の塔屋部のみ3階建てという、典型的な庁舎建築だったのだ。

 

ところが、戦後に3階部分を増築したため、今のような謎建築となった次第だ。

 

 

と、なんだかケチを付けてしまったような書き方になるが、いや、これが良い感じの建物なんですよ。

 

2014年に新庁舎が作られた際も、挽き屋で移動の上、新築ピカピカ風に補修され、保存された。

 

 

しかも、よくあるように、「申し訳なさそうに、端っこに保存」ではなく、あくまで主役として据え付けた。

 

その周囲に、新庁舎を建て増した、というわけだ。

 

 

この手のレトロ建築、「ピカピカ補修」には「味わいがなくなり」との反対意見が出ることも少なくなくないのだが、僕は「アリ」だとおもう。

 

少なくとも、明治大正昭和初期の人たちは、「ピカピカの洋風建築」を見て、「やっぱり、世界ってすごい!」と感動したはずなのだから。

 

なお、新庁舎はまあね、ってかんじ。

 

 

さらになお、道を挟んで向かい側には、渡辺節設計の旧兵庫県農工銀行豊岡支店。1934年。

 

 

現在はホテルやレストランとして使われている。

 

渡辺節は関西で活躍した建築家で、村野藤吾の師匠。

 

 

さらにさらになお、新庁舎建設時に取り壊された旧南庁舎は、吉田鉄郎の設計だった。旧東京中央郵便局(現KITTE)の設計者だ。

 

というように、市役所周りはビッグネームがそろい踏みだ。

 

ところで、豊岡はレトロな建物が多い。人呼んで「復興建築の街」だという。

 

関東の人からすれば、「復興建築」は1923年の関東大震災で、ということになるんだろうけれど、関西(の一部地域)的に言えば、1925年の北但馬地震で、ということになる。

 

豊岡・城崎地方をほぼ壊滅に追いやった、M6.8の大地震だ。

 

というわけで、豊岡市内には、今なお「復興建築」と呼ばれるレトロな建物が山ほど残っている。

 

 

市役所もその一つだが、大部分の復興建築は、いわゆる「看板建築」だ。

 

 

ほんとにいっぱいあるで。

 

 

おまけに城崎温泉も。

 

 

豊岡からJRで二駅。

 

 

良いお湯でした。

 

  交通メモ

 

豊岡市役所(兵庫)

 

場所: 兵庫県豊岡市中央町

 

JR大阪駅から特急はまかぜや、こうのとりなどを利用して、豊岡駅まで3時間ぐらい。駅から徒歩15分で市役所に到着。ついでに、豊岡駅からさらに2駅で城崎温泉駅へ。外湯巡りが楽しい、良い温泉だ。ここを舞台にした志賀直哉「城崎にて」は、異世界転生系ノベルの先駆けとしても知られる。「山手線にはねられ、気が付いたら温泉に飛ばされ…」という話だ。