■番外・甘楽町役場(群馬県甘楽町小幡) 

 

イヤこれが、なかなか良い面構えの町役場だ。 

 

 

「いかにも、戦後しばらくに建てられた、地方の小さな自治体の役場」という感じだ。 

 

そしてここが重要なのだが、建物も音楽もファッションだってそうだが、「いかにも」という物は、意外に存在しない。 

 

 

その「いかにも」が具現されているのが、この役場だ。 

 

コンクリ打ちっ放し、反り返った庇、左右非対称、香川県庁風の軒出し、タワー的なでっぱり付き。 

 

 

もうね。 

 

自分でも何でこんなに興奮しているのか分からないが(熱中症かもしれない。この日は39度まで気温が上がった)、とにかく良い役場だ。 

 

 

裏手の公民館も良い。 

 

 

 

商工会館も良い。 

 

 

この役場、今のところ建て替えの話は出ていないようだが、ぜひ残して欲しい(残す「建築史的意義がある」とは言っていない)と思う。 

 

ちなみにこの建物は1969年竣工。設計者は「前橋の大高建築設計事務所」とだけ伝わっている。 

 

あの「大高」事務所(=丹下健三の弟子の大高正人)と関係があるのかどうかかどうか分からないが、大高正人は北関東の案件を結構受けているからなあ。 

 

なお、「甘楽町なんて名前、聞いたこともない」という人が圧倒的多数派だろうけれど、戦国時代好きなら無視できないビッグネームだ。 

 

 

ここを支配していたのは地元の豪族・小幡一族で、当主の小幡憲重は武田信玄に仕え、かの有名な精鋭騎馬隊「武田の赤備え」を率いた。 

 

群馬の人がなぜ武田に?と思うかもしれないが、武田家にとっては信濃進出と上野(群馬県)西部への進出は、越後・上杉家を圧迫するためのセットの戦略だった。 

 

 

で、群馬県というのは名前の通り、昔から名馬の産地として知られていた。 

 

武田氏の滅亡後、小幡一族は徳川家康に仕えることになり、井伊直政配下の「赤備え」として戦うことになったわけだ。 

 

実際、甘楽町東部は一時期、井伊家の所領(飛び地)となっている。 

 

 

ちなみに、このエリアの北側が、これまた有名な真田一族のテリトリーで、こちらも武田家に仕えていたというわけだ。 

 

さてその後、天下太平となった後にこの土地、意外な人物の領地となった。 

 

織田信長の次男、信雄である。 

 

 

詳しくはググって頂くとして、「おまえ、生きてたんか!」と驚かざるを得ないビッグネーム(?)。 

 

正確には信雄の次男が藩主だったのだが、甘楽町には信雄が設計したと伝えられる庭園「楽山園」が、残されている。 

 

 

2012年の改修工事で設計当初の姿が復元されており、群馬県初の国指定名勝に指定された。 

 

こちらもぜひ、見ておきたい。 

 

おまけ。農協。 

 

 

も一つ、上州福島駅。

 

 

  交通メモ 

 

甘楽町役場(群馬) 

 

場所: 群馬県甘楽町小幡 

 

東京駅からJR高崎線で約2時間、高崎駅へ。上信電鉄で約30分、上州福島駅で下車し、徒歩25分。さらに20分ほど進むと、織田信雄作庭の楽山園だ。レンガ造倉庫を転用した歴史資料館や、古民家も多数。ぜひに。