■学習院大学(私立・東京都豊島区目白)

賑やかな高田馬場から北へ1駅行っただけなのに、雰囲気は大違い。
 

落ち着いた駅前30秒のロケーションに古風な門を構えるのが、旧皇族・華族御用達の名門校、学習院だ。

 

写真は南一号館。

 

 

18万平米と、都心部としてはかなり広めの敷地に、木造、ネオゴチック、戦後モダンと、良い具合の建物が老壮青のバランス良く集合している。

 

 

前川国男や菊竹清訓、久留正道に権藤要吉といったビッグネームもそろい踏み。

 

緑も豊かで、散歩しがいのあるスポットだ。

 

ではまず、駅そばの西門から入って、ゆるゆると中央部の広場に向かう。

 

学校パンフでおなじみの南1号館と西1号館に囲まれた広場だ。

 

西1号館は、アールヌーボー建築物として評価の高い、というか世界的に見てもトップオブトップな代表作といっても差し支えない旧朝霞宮邸(現・東京都庭園美術館)を設計した、権藤要吉の設計。

 

 

 

権藤は名古屋高等工業を出て住友財閥の建築部門に入社。母校の推薦で宮内省入りした建築家。

 

ネオゴチック様式(中世ゴチック様式を20世紀初頭に翻案したデザイン)の建物だ。

 

冒頭の南1号館も、同じくネオゴチック。権堂物件ではないらしいが、やはり宮内省の設計だ。

 

入り口を拡大すると、かなりのアールデコ臭が漂う。

 

 

禁欲的でお堅い感じのするネオゴチックなのに、なんだか華やかな感じがする。横とか裏からも。

 

さすが、宮殿建築の専門家が集まる、宮内省。

 

ネオゴチックというと、東大本郷が有名だが、あちらは普通の半円形アーチ。学習院は、ゴチック精神に忠実に、尖頭アーチ(尖ったアーチ)で入り口を作っている。

 

そこがアイデンティティとなっているのか、最近建った新鋭校舎も、みな尖頭アーチがあしらわれている。

 

 

 

さて、広場のもう一方にあるのは、日本モダニズム建築の大御所、前川国男の校舎だ。

 

 

昔は「ピラミッド校舎」という、どえらい個性の前川物件で有名だったが、老朽化で取り壊されてしまった。

 

それでもなお、北1号館と南2号館などが残っている。

 

北1と南2は、ぱっと見、平凡な戦後建築。壁は白、天井面が水色やライトグレーに塗り分けられているあたりが、前川っぽいと言えば前川っぽい。

 

 

昔は打ちっ放しだったそうだが、天井はビビッドに三原色だったんだろうか。

 

エレベーターとかも前川っぽいが、初見では「槇文彦か?」と思ってしまった。

 

 

まあ、現地で見たときはそれなりにしか感じなかったが、家に帰って写真を見てたら、「意外に、これよくない?」と見直してしまった。

 

全体のバランスが端正で、飽きない感じがある。

 

もう一つの前川物件は、新図書館。

 

 

これも特徴的なフックはないが、バランスが良い。壁面の塗りはあまり前川風ではないが、後付け改修なんだろうか?

 

新図書館があれば、旧図書館(北別館)もある。

 

 

こちらは、京大吉田寮や旧東京音楽学校奏楽堂(上野公園に保存されてるやつ)を作った久留正道による木造校舎。

 

現在は図書館事務室になっている。

 

久留は工部大学校造家学科の3期生で、明治期の文部省営繕を指導した。

 

旧制高校など初期の学校施設は、だいたい久留物件だ。

 

もう一つ有名な木造校舎が、皇族・華族の寄宿舎として使われていた学習院資料館。

 

 

これも久留。

 

まあ、質実剛健な建物だ。

 

そばには100周年記念館というのもある。

 

 

ゲンプラン(満野久、渡部英彦)の設計だ。

 

法学部経済学部棟は菊竹清訓。しかしながら、全く記憶に残っていない。写真をろくに撮っていなかった・・・。

 

学生数は9500人。その割りに、体感ではあるが、人口密度に過密感がある。

 

たぶん敷地面積18万平米というのは、中学高校幼稚園も含めて、と言うことなのではないだろうか。

 

でもまあ、所々に広場や運動場が分散配置され、密林と化した遊歩道も用意されている。

 

散歩していてもバラエティー豊かで、せせこましさも退屈さも、感じさせない。

 

 

いや、飽きさせないからこそ、18万平米もあるとは思えないぐらい、あっという間に見終わってしまう。狭く感じてしまう。

 

乃木大将ゆかりの木造小屋なども保存されている。これも久留物件。

 

 

現在は日建設計による最新鋭高層校舎を建設中。

 

明治から現代まで、歴史が連なっていることを感じさせてくれる好キャンパスだ。