■番外・さいたま市役所(埼玉県)

 

さいたま市役所。出オチ感が激しい。

 

逆に言えば、出だしは素晴らしい。ともいえる。

 

まず入口広場。

 

 

先へ進むとこう。

 

 

これで終わり。以下省略。

 

横を見ると、さっきのあれが…。

 

 

比較的近くにある「県議会の森」とか「別所沼公園」に行くのもありだが、今回は別のところへ。

 

知事公舎(これもなかなかオツだ)を横目に見つつ、駅方面に向かう。

 

教会の先で右折。

 

 

そこにあるのは、茶色のタイル張りのマッシブなホール。「さいたま市民会館」だ。

 

 

 

「前川国男が設計したってやつね」と思ったあなた、違います。

 

それは「埼玉会館」。こちらは「さいたま市民会館うらわ」。

 

 

設計は1971年。市役所建築ではやたらと出てくる石本建築事務所と、地元の土屋巌建築設計事務所。1971年。

 

「石」本さんと「巌(いわお)」さんが設計しただけあって、名は体を表す、ホール部分の半端ない量感。まさに岩。

 

 

石本事務所は、日本分離派の中心メンバー、石本喜久治開設の事務所だ。表現派からモダニズムにかけての名門だ?。

 

しかしながら近づいてみると、この巌、小さな丸タイル張り。とたんに繊細でフレンドリーな感じがしてくる。

 

 

 

施工業者泣かせって気がするけど。

 

 

残念ながら令和3年4月で閉鎖。老朽化のため、解体される。

 

浦和は、政令指定都市の市役所所在地、県庁の所在地とは考えられないほど地味な街だ。いい感じの住宅街、という表現もできるけど。

 

もっとも、古くからの住民は、浦和をそういう風に、つまり、政治行政の中枢都市とは見ていないだろう。

 

元々、武蔵の国府は府中だったし、後北条氏の支配拠点は川越だ。そしてそのあとは、江戸の引力が大きすぎる。

 

じゃあ、浦和のアイデンティティはなんなのかというと、旧制浦和高校を軸とした文教都市ではないか。

 

実際、県庁や市役所はいささか地味なのに、県民会館や県立美術館は前川国男に黒川紀章と、超ビッグネームに作らせたものだ。

 

また、駅から少し歩くと、イイ感じの住宅街がひろがる。

 

そのまま歩いて荒川を目指したり、逆の方向の浦和競馬場へ、緑の芝生と躍動するサラブレッドの肢体を眺めに行くのもいい。