関東の主要私大のルーツも、簡単に解説を。

 

これも超ざっくりなので、正確に知りたい方は個別の大学をwikiってください。

 

でも簡単にまとめると、その時代時代の「人気の就職先」に合わせて、そこへの就職をサポートする私大が誕生してきた、って感じです。

 

ある意味、今と変わりませんね。

 

さて明治の初め、今でいう各種学校というか、塾や予備校みたいな存在として、私立の教育機関が次々と生まれました。

 

やがて学校制度の法整備が進むと、こういった民間予備校の一部が「専門学校」(現代の大学相当)として認可され、さらに時代が進むと、「旧制大学」(ロースクールや会計大学院のような、現在の職業大学院付きの大学みたいなもの)に昇格。

 

って感じです。

 

では、ジャンル別にご紹介。

 

①法律予備校系

 

▼明治、法政、中央、専修、日大、独協など

 

明治維新の後、突然現れたエリートな就職口。

 

それは、検事や裁判官といった司法官です。

 

欧米先進国に「日本は文明国だ」と認めてもらうために、法律や裁判制度を、大急ぎで整備しなくてはならなかったのです。

 

ところが当時の日本には、帝国大学(今の東大)がたった一つ、できたばかり。

 

その卒業生だけでは、全く数が足りません。

 

というわけで、司法省(今の法務省)は、「学歴不問の採用試験」を、毎年のように実施します。

 

法律の素養を問います。

 

言うまでもなく、就職先として大人気です。

 

いわゆる「藩閥」のコネがなくても、テストの点数次第で立派な仕事に就けるわけですから。

 

当然のように、試験対策の民間受験予備校が誕生します。

 

しかし、採用試験をする側としては、試験対策の詰込み授業ではなく、きちんとしたカリキュラムで体系的に法律を勉強してきた学生に合格してほしい。

 

というわけで、司法省は模範的な受験予備校が誕生するよう、裏で手を回します。

 

それが明治法律学校(明大の前身)。

 

少し遅れて、東京法学校(法政の前身)も生まれます。

 

明治は全日制があり、法政は夜間が中心。

 

司法省はフランス留学組が多く、まあ、そういう学閥でもあります。

 

一方、帝大法学部も黙ってはいません。

 

日本の「学」を仕切るのは帝大でなくてはなりません。

 

というわけで、イギリス法律学校(中央大の前身)の設立を後押しします。

 

こちら学閥的には、英米法です。

 

専修は慶應から独立する形で発足した、民間色の強い学校です。学問的には英米法系。

 

独協は、ドイツをモデルとした近代化を目指そうと考える、一部の政府関係者の後押しで作られました。ドイツ法系。

 

日大は一番最後の後発組。

 

日本の法律が整備された後に、「フランス法とか英米法とか言ってないで、日本の法律を勉強してもらいましょうよ」みたいなコンセプトで、司法省の大物がつくりました。

 

まあ当然ながら、最初は司法省がバックアップした明治・法政がリードしますが、帝大の猛プッシュで中央が逆転。しかし、司法省は日大を作って反撃をめざす?

 

専修と独協は旗色が悪いので、やがて方向転換し、法律以外のカリキュラムを強化して…。

 

といった感じでしょうか。

 

すごく乱暴な言い方ですが。

 

司法官の新規募集が一息ついたころには、今度は準キャリア・ノンキャリ公務員の採用試験制度の整備が本格化し、大量採用が始まりました。

 

というわけで、法律予備校はますます栄え、やがて、大学へと昇格していくのでありました。

 

① 教員試験予備校系

 

▼東洋、国学院、東京理科大など

 

新たに生まれた人気の就職先というと、学校の先生もそうです。

 

今に比べて、昔の「先生」の偉さっていったらもう・・・というような人気の職業なわけです。

 

教員養成学校として師範学校も作られましたが、やっぱり、その卒業生だけでは数が足りないので、一般採用試験が行われ、受験予備校が誕生します。

 

法律予備校系もだんだんと、こっちにも力を入れていきます。

 

③早慶

 

この二校は、ほかの私大とはビジネスモデルが違います。

 

予備校的なこともやってはいましたが、商人や地主など「地域の有力者の子弟」という新たなマーケットを開拓したのです。

 

帝大や予備校系私大は極論すると、「公務員になりたい人」のための学校です。

 

でも、みんながみんな、公務員になりたいわけじゃない。

 

商人や地主の息子は、「東京の立派な学校で、最先端の教養や、家業に役立つビジネスの知識をつける」ことを求めているわけです。

 

今でいえば、「海外留学で、グローバル社会に国際感覚を身につけてきました」「MBA留学してきました」みたいな。

 

そんな人たちのニーズに応えたのが早慶です。

 

福沢諭吉先生も「今年の入学者は地方の富豪(の子弟)が多い」と、認めちゃうぐらいに。

 

この両校は福沢諭吉と大隈重信という全国区の大物が広告塔で、知名度は抜群。

 

しかも創立当初から、「受験予備校ではなく、本格的な欧米型大学を目指す」とアピールしていました。

 

アピールするだけでなく、専任教員を自前で養成して、独自のカリキュラムで教育していたのも、ここだけです。

 

ほかの私学は、官僚や帝大教授がアルバイトで授業していました。

 

ぶっちゃけ、当時の私大のキャッチフレーズを見ると、「うちの授業は全部帝大の教授がやってます」「一橋大と同じ内容の講義が、格安の授業料で!」みたいな感じでした。

 

これに対して早慶だけが、「うちは授業もコンセプトも帝大とは違う」と、独自のブランドを育てていて、世の中も「私大の中で、早慶は別格」と受け止めていたわけです。

 

ちなみに、地方の人に向けた通信教育を最初に始めたのは早稲田らしい。

 

④海外雄飛系

 

さらに時代が下ると、「若者よ!アジアの大地で大活躍せよ」みたいなロマンが、就職戦線にも広がっていきます。

 

そこで現れたのが名前から想像がつく通り、拓殖、亜細亜などなどです。

 

⑤宗教系私学

 

言うまでもなくですが、仏教系とキリスト教系があります。

 

明治の頃は知りませんが、一昔前の仏教系僧侶養成学科は、本当に羽振りが良かったらしい。

 

聞くところによると、地方から上京して、下宿なんかしないでホテル暮らしで登下校していたとか。

 

キリスト教系は昔も今と変わらず、「国際教養と充実した語学教育」というイメージが人気だったそうです。

 

キリスト教系は、海外からの寄付金があったので、校舎も立派でした。