大学キャンパスを巡っていると、時折、大学の歴史を説明した看板に出くわします。

 

たとえば、

 

「本大学は、A農林高等学校とB工業高等学校とC経済専門学校とD師範学校とE青年師範学校を母体とし、戦後に新制大学として発足した」

 

てな具合です。

 

さっぱりわかりません。

 

農林高等学校と工業高等学校って、今で言う農業高校と工業高校のこと?

 

経済専門学校ってなに?

 

代々木アニメーション学院の親戚みたいな、簿記とかエクセルとかを学ぶところ?

 

師範学校と青年師範学校はどう違うの?

 

青年師範の方が、格が高いのかな?

 

というあたりが、何となくわかるよう、簡単にまとめてみました。

 

戦前の学制は結構ころころ変わっているので、現在の学制に切り替わる直前のものです。

 

一応言っておきますが、あくまで「目安」であり「相場感」です。

 

 

①大学

 

今も昔も最高学府ですが、「ありがたさ」はだいぶ違います。

 

乱暴な言い方ですが、現代のMBAとかロースクールとかいった文系の職業大学院、理系でいえば院のマスターコースとか、そんな感じ。

 

もちろん今と同じく、大学によって社会的評価はピンキリですけど。

 

 

②高等学校

 

旧制大学が今の大学院的な位置づけだとすると、旧制高校は大学でしょうか。

 

ただし、あくまで旧制大学への進学を前提とした学校です。

 

もともとは、帝大進学希望者向けの語学特訓コースみたいなものとして、設置されたそうです。

 

最初のころの帝大は、先生はみな外人、授業はオール外国語だったんですね。

 

その後も学術書は基本、洋書ですから、外国語が出来ないと話にならなかったわけです。

 

というわけで、帝大に進むには、語学の徹底特訓が必要だったわけです。

 

なので、ここで学歴が途切れる人は、わりと訳アリ感があったり、なかったり。

 

 

③専門学校

 

高等●●学校、もしくは△△専門学校という名前の学校です。

 

これこそ、現在の大学的な存在です。

 

現代の商学部・経済学部にあたるのが高等商業学校、工学部にあたるのが高等工業学校、農学部が高等農林・高等農業学校、外国語学部は外事専門学校、医学部は医学専門学校という具合です。

 

このうち高等商業学校については、第2次世界大戦中に「経済専門学校」へ名前が変わりました。

 

とある傾向の方々が、「非常時なのに私利私欲を追求する商業学校だなんてとんでもない」とおっしゃったから、だそうです。

 

また、専門学校のなかでも、特に歴史のある学校は、途中で旧制大学に昇格しています。

 

たとえば東京高等商業学校は旧制・東京商科大学に昇格し、戦後、新制・一橋大学に改名しました。

 

同じく東京高等工業学校は、旧制・東京工業大学に昇格し、そのまま新制の東工大になっています。

 

 

④実業学校

 

旧制専門学校が今の大学だとすると、旧制実業学校は今の高校です。

 

商業学校、工業学校、農業学校などがあります。

 

実業学校と専門学校の区別は少しややこしいのですが、「●●商業学校」なら旧制実業学校、「●●高等商業学校」なら旧制専門学校、というわけ。

 

「高等」が付くかどうかがポイントです

 

ここが母体となって、戦後に新制大学となったところも、けっこうあります。

 

念のためですが、「今の高校」にあたる、と言っても、昔は「高校進学率ほぼ100%」みたいな世の中じゃなかったわけですので。

 

 

⑤師範学校

 

教員養成学校です。

 

この分野は変化が激しいんですが、最終的には「高等」がついてもつかなくても、基本的には旧制の専門学校相当、になりました。

 

つまり、今の大学的ポジション。

 

高等師範学校・女子高等師範学校は、旧制中学校(今の高校相当)の先生を養成。

 

師範学校は国民学校(今の小中学校相当)の先生を養成。

 

青年師範学校は青年学校(戦後の定時制高校みたいな学校)の先生を養成する。

 

旧制専門学校の場合、一橋や東工大のように、有力校は途中から旧制大学に昇格しているのですが、師範学校も微妙に昇格しています。

 

東京高等師範学校が東京文理科大+付属高等師範学校に、広島高等師範が広島文理科大+付属高等師範に、それぞれ昇格しています。

 

この2大学(と附属学校)が、戦後に東京教育大(現・筑波大)と広島大の母体になります。

 

なお、師範学校は授業料無料。成績次第では、文理科大学まで進んで学士号が取れる。

 

このコースを経て帝国大学に転じる人もいて、いわゆる「頭は良いけど貧しい家庭の子」にとっての出世コースだったそうです。