■千葉大学・亥鼻キャンパス(国立・千葉市中央区亥鼻)
アールデコからポストモダンまで何でもそろった、建築の玉手箱だ。
という表現を、前にも使ったような…。
千葉駅から病院行きのバスに乗って揺られてく。ゴーゴー。そろそろ右に曲がります。
10分少々で、医学部と看護学部、付属病院が入ったキャンパスだ。
まず目に入るのが旧医学部本館。
震災後に作られた鉄筋スクラッチタイル張り、1936年竣工。大きくてどっしり、重量感たっぷりの迫力だ。
設計は文部省営繕課。
書類上は佐野利器の大学の先輩にあたる柴垣太郎による設計になっているが、それは柴垣がこの時期の営繕課長だったということであって、実際の設計者はよくわからない。
横から。
裏口も良し。
タイルとテラコッタがいかにも1930年代なアールデコだ。
傷んでいる感が否めないが、長く使って欲しいなあ、と思う。
しかしながら現在、「用途は未定のまま閉鎖中」という、いかんともしがたい扱いになっている。
もちろん難しいのは承知の上だが、聖路加みたいな高級病院(入院棟)にするとか、インバウンド狙いのホテルに改装するとか、レンタルオフィスにするとか、話題を呼べると思うんだけれども。
さて、その次はサークル棟。これがすごい。デコ、まさにデコ。すごいデコ!
実は精神病棟だったらしい。どのような含意があってこんな建物になったのか、気になる。
とにかく、このキャンパスの一番の見物だと思う。ぜひ保存して欲しい。
次はモダン部門へ。
白い庇の連なりが印象的な「ゐのはな同窓会館」は、千葉大所属の鈴木弘樹作。
そして同大のホームページで最も華々しく紹介されている「ゐのはな記念講堂」は、ポストモダンの大御所、槙文彦。国内2作目だそうだ。
講堂駐車場を囲むコンクリまで、このコリよう!
赤の差し色。ブルータルな打ち放しのコンクリ肌。
こういっちゃなんだけど、豊田講堂の5倍ぐらいかっこいい。
一通り見たら、看護学部の中庭で一休み。
中庭のベンチとテーブルもなんだかお値段が高そうだ。
隣にはお城(亥鼻城)も建っている。案内板を見ると、平安時代の城だというのに天守閣がある。時代考証もへったくれもありませんが、まあそういう模擬天守と言うことで。
体力が余っていたら、付属病院エリアへも。
落成したての新本館。
戦前の木造校舎のとんがり帽子の部分だけ、保存されている。
そして最後に新しい外来病棟。
ちなみに千葉大の医学部は、「旧六医専」と呼ばれた、業界の名門校だ。
千葉、金沢、新潟、岡山、長崎、熊本の6大学の医学部の前身となった医学専門学校(戦前の大学相当)のことで、帝大医学部に次ぐ権威と歴史を誇っていた。
千葉大医学部の場合は、明治7年に地元有力者らが作った共立病院が源流で、県立千葉医学校に発展。さらに、のちに東大教養学部となった旧制第一高等学校の医学部となった。
明治の初め、学制がはっきりと定まる前は、帝国大学とは別に、各地の「高等学校」を大学的な存在として整備する動きがあった。
というわけで、高等学校に医学部や工学部が作られたんですよ。
でまあ、最終的には一高から独立して、官立千葉医学専門学校(現在の大学相当)に転身。大正時代に入ると、旧制の千葉医科大学となった。
というわけだ。
学生数は1000人弱、面積は26万平米。広々としたキャンパス。
交通メモ
千葉大学(国立・亥鼻キャンパス)
場所: 千葉市中央区亥鼻
東京駅から総武線快速で45分、千葉駅で下車し、バスで10分。大高正人設計の千葉県立中央図書館や県文化会館がそばなので、ご一緒に。帰りはモノレールもおすすめ。千葉駅で降りず、反対側の終点まで行くと千葉市役所がある。建設中の新庁舎は隈研吾。