■明治大学・駿河台キャンパス(千代田区神田駿河台)
クラシックな伝統校舎を取り壊して、最新鋭の高層校舎に建て替える。
その結果、バンカラだった大学のイメージが、おしゃれな都会派に変わる。
そんな再開発の成功例として取り上げられることが多い、このキャンパスだ。
歴史的建造物の保存問題は、いつだって難しい話だ。
が、このキャンパスからは、大学当局のイメチェンにかける強烈な意志は感じられた。
かってな想像だが、設計会社に金をけちること無く支払い、その代わり、「良い案を出せ」と、激しく尻を叩いたに違いない。
まずはリバティタワー。
でかい。すごい。単なる無機質なオフィスビルでは無い、神殿の柱を感じさせるデザイン。
それでいてこの入り口、取り壊された明大記念館を彷彿とさせる。
遠くから見ないとわからないが、ビルの屋上にはドームも乗っかっている。
色遣いも良いと思う。程よい温かみを感じさせる。
白とか灰色、あるいは全面ガラス張りでこの巨大なビルを作ったら、威圧感が強すぎるのではないか。
少なくとも、神保町やお茶の水の町に似合う風景ではないような気がする。
ところでこの鳥は、明大マスコットのフクロウをデフォルメしたのだろうか?
さて、次いで建てられたのが、アカデミーコモン。
こちらは新宿あたりに建ちそうなオフィスビル風だ。坂下から見上げると、映える映える。
その奥にはグローバルフロントが建つ。庇の表情が悪くない。
とまあ、この3人衆が駿河台キャンパスを支えていて、残りの校舎は隠居状態。
いずれ取り壊されること間違いないので、その前に猿楽町校舎、14号館、10号館なども見ておこう。
リバティタワーのはす向かい、紫紺館も忘れてはいけない。
再開発前を知る人に聞くと、当時のキャンパスはなかなか前衛的な感じだったらしい。
建物自体は、よく言えばクラシックでどっしりとした、それはそれとして味のあるものだったそうだが、いわゆる学生運動の立て看板に占拠されていた。
キャンパスというより、砦、みたいな感じだったそうだ。
大学当局としては、運動家を追い出すために、建物の完全破壊を選ばざるを得なかったのだろう、ということだ。
おまけに、近隣の「山の上ホテル」と「旧・文化学院」もどうぞ。
山の上ホテルは、多芸多作な米国人建築家W・M・ウォーリズの設計。
レトロモダンなデザインと外装が素敵な、ゴチック風味のアールデコだ。
元々は佐藤新興生活館という、女性向けマナー教室みたいな施設だったらしい。
戦後、進駐軍に宿舎として接収され、返還後はホテルになったそうだ。
旧・文化学院は、学院創始者の西村伊作自らの設計。入り口だけ残っている。ツタに覆われ、正体不明。
アーチ内部は幽玄な感じ。表現派?
西村は、コルビュジェの弟子でモダニズム建築の大物・坂倉準三の舅だ。
駆け出し時代の坂倉の、金主みたいな存在でもあったらしい。
さて肝心の明治大キャンパス、学生数はよくわからないけれど、1万5000人は通っているだろう。
面積もよくわからない。
が、リバティタワーだけでも床面積が5万9000平米もある。
明治大は元々、今で言う司法試験や公務員試験の予備校みたいな民間スクールとして始まった。
中央大(の前身)をライバルとして、試験の合格者数を競い合ったという。
司法省(今の法務省)の官僚が講師として授業していたのが明治で、帝大法学部の教授が非常勤講師をしていたのが中央。
明治対中央の争いは、司法省と帝大の代理戦争みたいな雰囲気もあったとか、無かったとか。
さてまあ、一通り見終わったら、神保町をぶらぶらしたり、お茶を飲んだり、カレーを食べたりしようと思う。
ついでに、アテネ・フランセに足を延ばしても良い。