東京理科大学・神楽坂キャンパス(私立・新宿区神楽坂)

 

最近は早慶上理なんて呼ばれたりもする、最難関私学の一角だ。

 

 

JR飯田橋駅を降りると、外堀を挟んで東京理科大と法政大がにらみ合っているかのような眺めが目に入る。

 

神楽坂、九段下、四谷。

 

晴れた日にぶらぶら歩くのに、飽きることがないエリアでもある。

 

まずは飯田橋駅からお堀端の法政大側を通って、市ヶ谷方面へ向かう。

 

 

お堀の向こうに理科大を見下ろす形になる。

 

 

法政大のボアソナードタワーを通りすぎたあたりで、右折してお堀を渡る。

 

いよいよ理科大の敷地に向かう。

 

途中には、コルビュジェ門下・坂倉準三が設計した日仏学院もある。

 

 

実のところ理科大も日仏学院も、そばから見上げるより、外堀越しに望遠レンズで眺めたほうが具合がよい。

 

 

さらに進むと、理科大に到着だ。

 

 

1万人近い学生が通う、理科大の中枢キャンパス。

 

ただ面積は、全部合わせても2万平米もいかないであろう。

 

神楽坂の坂の斜面に高層校舎がぎゅうぎゅうに詰め込まれた、という感じだ。

 

 

見上げる首が痛くなってくる。

 

 

一部の校舎は、敷地からはみ出たというか、キャンパス外にやむえず増築した、という体で展開されている。

 

ところで、こんなのもある。

 

 

近代科学資料館。

 

一見、戦前からのレトロ校舎が保存されているという風に見えるが、実はそうではない。

 

昔の建物を現在の建材で、1991年に「再現」した現代建築だ。

 

一般開放の博物館になっている。

 

この大学、歴史は古い。1881年(明治14年)創立の「物理学校」にさかのぼる。

 

設立の経緯は少々ややこしく、東大(帝大)理学部の路線闘争が裏にある。

 

 

明治初期の日本の高等教育には、フランスと親密だった幕府系知識人の流れをくむ系統と、薩長藩閥に近いイギリスへ留学した人々の二つの流れがあった。

 

そのあおりで、帝大にも英語で物理の専門書を学ぶコースと、仏語で研究するコースの両方が作られた。

 

最終的には国策として、イギリスをモデルにして近代化を進めることになったのだが、収まらないのがフランス組だ。

 

フランスコースの教官や卒業生が「自分たちの学校を作ろう!」と集まったのが物理学校、というわけだ。

 

 

最初は学生が集まらず、経営的に苦戦した。

 

が、官立東京職工学校(のちに東京高等工業学校を経て、東京工業大学に発展)の受験予備校コース(1年制)を併設したところ、これが大当たり。

 

経営は安定し、もともとの本科コースの評判も高まった。

 

当時としては「帝大以外で唯一、自然科学を専門的に学べる理系の高等教育機関」というわけで、夏目漱石も代表作の主人公「坊っちゃん」をここのOBと設定したほどだ。

 

 

ちなみに東京職工学校(現・東工大)のほうは純然たる工業技術者の養成機関で、理論系の学科を設置して現在のような総合理系大学になるのは、はるか未来の話になる。

 

さて理科大。大正時代には一瞬、早稲田に吸収合併されそうになるが、そこも乗り切って現在に至る、という感じだ。

 

一通り見物した後は、どうするか。

 

散歩コースとしての立地条件は抜群だ。神楽坂のメーンストリートのすぐ隣。

 

四谷に出ても良いし、そのまま神楽坂の町並みをめぐってもいい。

 

たとえば早稲田通りの坂を登って、矢来町の登録有形文化財、高橋建築事務所へ行って見る。

 

 

地下鉄飯田橋駅・矢来町出口のすぐそばだ。

 

さらに進んで、牛込天神町で右折すると、その筋で大人気の「都住創ラスティックビル」に到着する。

 

 

ほんと、びっくりするほどのペンシルビルだ。

 

 

ラスティックとは、「田舎風」「素朴な」「粗野な」「粗造りの」という意味。

 

建築用語だと、石壁の表面を荒々しく仕上げる技法を指す。

 

 

右端のテレビは今は亡き、三洋電機のものだ。

 

言うまでもなくこのビル、隈研吾の設計だ。初期の代表作?と言っていいのだろうか。

 

  交通メモ

 

東京理科大学・神楽坂キャンパス

 

場所:新宿区神楽坂

 

駅ビルも新しくなったJR飯田橋駅から、徒歩5分。周りには法政大、上智大など、見ごたえのある大学キャンパスが多数。普通に九段下や神楽坂を散歩するのも楽しい。おすすめは早稲田・護国寺方面にてくてく歩くコース。