■芝浦工業大学・豊洲キャンパス(私立・江東区豊洲)

豊洲駅からキャンパスに向かって歩いていくと、オーバーハングが印象的な巨大校舎が姿を現す。
 

芝浦工業大学だ。

 

 

 

逆ピラミッドというほどではないが、埋立地にくさびが打ち込まれたかのようだ。

 

 

湾岸タワーマンション群が集結し、今最も(地価的な意味で)アツい街と言われる豊洲。

 

 

昔はIHI本社ぐらいしか目立つ建物はなかった(言い過ぎ)のに、今では別天地のようだ。

 

 

そんなヒートシティの新たなランドマークの一つにやってきた。

 

 

まずは周囲を、ぐるりと一周。

 

 

それから、逆ピラミッド校舎の間を抜けて、中に進む。

 

 

中庭広場の向こうは、門。

 

 

壁、ともいう。

 

階段を上って門に近づく。

 

 

緑がみずみずしい。

 

振り返る。

 

 

神々しい。

 

 

この門、正確には研究棟なのだが、注目すべきなのはダクト類の処理だ。

 

工学系研究室・実験設備には欠かせないのが、排気ダクトや各種のパイプ類。

 

普通は校舎の裏側に張り巡らしたり、それを金網的な建材で覆ってかくしたりと、目立たないところに隠されている。

 

芝浦工大の場合、堂々とフロントのファサードを飾っている。柱のようにも見える縦線、近づくとパイプ隠しの覆いであることがわかる。

 

 

門の向こうは下り階段。そして、豊洲運河。

 

振り返ると、やはり神々しい。

 

 

豊洲運河を見ながら、黄昏てみる。

 

 

この校舎、気が付くとセレブエリアになっていた豊洲と、昔ながらの深川を区切るゲートなのかもしれない。

 

このキャンパスは2006年の供用開始。22年に完成したくさび校舎で、工事完了と相成った。

 

開設当初はくさび校舎の部分が芝生広場になっていて、ゲートは直接、前の通りを歩く人々に荘厳な姿を示していた。

 

 

建築学科が入っているキャンパスだからなのだろうか、建物内部の各所に世界の名作いすが飾ってあって、座りたい放題…と、大学のホームページには書かれている。

 

 

以前、仕事がらみで校舎内を案内してもらったことがあるが、うん、まあ、そうともいう。

 

3,4000人ぐらいの学生に対し、面積は3万平米。

 

くさび校舎の登場で、少し手狭になったキャンパスだが、まあ、それはそれ、これはこれ、だ。

 

芝浦工大は1927年、有元史郎が開設した東京高等工商学校(現在の専門学校相当?)が前身となる。

 

有元は苦学の末に東京帝大を出て、卒業後間もなく、30歳の若さでこの学校を開設した。

 

 

校史や伝記によれば、本人の熱意と人格が周囲の協力を呼び寄せたそうだが、実際のところ、どういうバックグラウンドや人脈があって、大学を出たての若者が学校を作ることができたのかは、いささか想像が難しい。

 

しかしこの時代、大学出たての若者がいきなり学校を作ってしまうということは、他にもないわけではない。

 

それだけ「大卒」の肩書がありがたみを持っていた時代なんだろう。

 

 

さてこの高等工商学校、旧制専門学校(現在の大学相当)ではなく、あえて各種学校として発足し、「手ごろな学費で、一流大学の教授や有名企業の現役技術者の授業が受けられる」とアピールした。

 

専門学校は開学許可を得る際の規制が厳しく、専任教員を多数雇用しておかなくてはならない。各種学校は、非常勤講師が主体の教員陣でも構わない。

 

2流の専任教員を集めるより、1流の非常勤講師をそろえて、授業を充実させようという狙いだ。

 

 

しかしながら、ここははっきりとしないのだが、学生からは「各種学校ではなく、専門学校になってほしい(=専門学校卒の学歴が欲しい)」という声が高まったらしい。

 

そんな学生の一部が放校処分となったのをきっかけに、有元反対派の教員が離脱して1929年に作ったのが、現在の東京都市大学(旧・武蔵工業大学)だ。

 

 

  交通メモ

 

芝浦工業大学(私立・豊洲キャンパス)

 

場所: 東京都江東区豊洲

 

地下鉄有楽町線豊洲駅から徒歩10分。新橋からゆりかもめでお台場遊覧を楽しみつつ、豊洲にやってくるのもおすすめ。そのまま豊洲をぶらぶらするもよし、越中島に出て東京海洋大経由で門前仲町に出るもよし。