■獨協大学(私立・埼玉県草加市)
整然と、計画的に作られた。そんな印象を与えるキャンパスだ。
すべての校舎が異なるスタイルで建てられているが、おおむね「ドイツ的」というテーマできっちりと統一されている。
庭園の配置も、テーマ性を感じさせる。
そして、行き届いた清掃。
東武スカイツリーライン草加松原駅から、徒歩5分ほど。
伝右川を越えて正門から入る。ふとい杉が立ち並ぶ前庭があり、その向こうに中央棟がそびえたつ。
このキャンパスを、とりあえず反時計回りに回ってみる。
まず右手に折れ、「4棟」に向かう。キャンバス内では古い方の建物と見受けられる。
印象的な荒い壁肌。採光窓もアクセントとなっている。
直線を基調としたデザインに、一部が赤く塗られたカラーリング。
現代に通じる「モダンデザイン」の走りで、ドイツ生まれのデザインムーブメント「バウハウス」的な印象を、ほんのちょっぴり、感じさせる。
突き当りで左折すると、その先はよく整備された芝生広場である北庭と、微妙にパステルカラーな西棟がある。
その奥は南庭。ここでまた左折して庭の中を進む。
いわゆる和風というか、日本の大学によくあるつくりの、うっそうとした樹木が主役の庭だが、歩行路は幾何学的なカーブを描いて進む。
その先に図書館・天野貞祐記念館が見えてくる。この建物も採光窓が印象的だ。
この大学はこういった採光窓を取り入れた建物がやたらと多い。
照明器具やオートブラインドに頼らないのも、ドイツ流機能主義なのだろうか。
天野館の前には中庭がある。
こちらはうっそうとした南庭より、ぐっと「日本風」の要素が減った、よりスッキリと樹木の密度が下がった、和洋折衷の作りだ。
きわめて計画的な植樹とベンチの配置、歩行路の整備など、作り自体は西洋風公園のそれだ。
さらに進むと、芝生広場になる。完全に西欧式だ。
そこから中央棟を振り返ると、白い建物の上部に「DOKKYO」の文字が見える。
その向こうは講堂。ここでまた左折して入口の方へ。
途中で通りかかる東棟の入り口は、むやみと威圧的な階段だ。
ベルリンの有名スポット、ペルガモン博物館を意識したデザインだそうだが、そうかなあ?とも思う。
いや、一番の有名所蔵物の「ペルガモンの大祭壇」に似ているような気もする。
突き当りの学生センターも採光(以下略)左折すると入口に戻る。
中央棟の前の少し手前で、左手を向いてみる。
その先がメインストリートというべきか。天野記念館の全体が見える。
実はドームがのっかていることが、わかる。
天野、天野と繰り返してきたが、天野貞祐は京都帝大教授、文部大臣などを歴任した、新制独協大学の初代学長だ。
独協大の歴史はかなり古い。
ドイツ流立憲君主制文化を日本に持ち込もうと、明治政府のお偉方が1883年に設立したドイツ学協会に付属した、独逸学協会学校にさかのぼる。
後にドイツ第二帝国の第6代宰相(初代がビスマルク)となるゲオルグ・ミヒャエリスが若いときにこの学校の教頭を務めたと言うから、相当力が入っていたわけだ。
明治時代、帝国大はドイツを範に取り、私大は英米仏を模した、という感じがあるが、こちらは私学といっても相当に官学寄り、政府寄りの存在であったらしい。
そして旧帝大より、よほどドイツ的な感じがある。
秩序と規範と理想を感じさせる、そのキャンパスの強い設計思想に、だ。
1999年から老朽化した校舎群の大リニューアルが進められているが、天野記念館はドイツの国会議事堂がモデルだ。
ちなみに、グラウンドの人工芝もドイツ製だ。
キャンパス面積は12万平米。学生数は8500人。
埼玉県人は、浦和を埼玉のワシントン、大宮を埼玉のニューヨーク、別所沼公園を埼玉のモンマルトルと呼ぶと聞く。モンマルトルは丘だが。
ならば草加は、埼玉のベルリンか何かに違いない。