■愛知大学・車道キャンパス(名古屋市東区筒井)
 
豊橋発祥の愛知大が、名古屋進出をかけて作った都市型キャンパス・・・というとよくあるはなしだが、その紆余曲折の歴史は長い。

 


 
そもそも土地の取得は1951年。1956年の開学からすぐの時期だ。

 


 
しかしながら開発規制の問題で有効活用できず、いったんは名古屋郊外の三好市に三好キャンパスを設置。しかしながら郊外キャンパスでは学生が集まらず、再び都心部進出を模索。

 


 
ようやく半世紀後の2004年に13階建ての現校舎を建てるに至った。

 


 
のではあるが、名古屋市がJR名古屋駅そばの貨物駅を核とした大型再開発に着手。2007年に愛知大もコンペに参加したところ、見事、コア施設の一つに選ばれた。

 


 
というわけで2012年に新名古屋キャンパスが完成。
 
三好は閉鎖され、車道は現在、大学院などに使われており、東区役所の移転候補として有力視されるようになり…という塩梅だ。
 
将来的には豊橋に理系・地域系、名古屋に文系主力と言ったすみ分けが進むらしい。
 
交通メモ

 

  愛知大学・車道キャンパス


住所: 名古屋市東区筒井


地下鉄桜通線の車道駅から歩いてすぐ。ギリシャ風味の高層ビル校舎が天を衝く。区役所移転でほぼ決まっているようだが、果たしてどうなるのか。地図の上では都心部なのだが、桜通線って交通手段としては微妙な気がする。いやまあ、乗り換えればいいんだけれど。

 

■名古屋商科大学・名古屋キャンパス(名古屋市中区)

 

名古屋商科大学の都心部キャンパス。メーンは郊外の日進キャンパスだが、2001年に設置した。

 

 

見ての通り、とても立派な高層ビル校舎。

 

 

曲面を投入し、壁面の細工も流々。

 

 

安普請ではなさそうだ。

 

 

そのあたりは、メーンの日進キャンパスを見れば良く分かると思う。

 

 

日進は必見。見に行く価値あり。交通の便はよろしくないけれど。

 

 

名古屋キャンパスは高層ビルのほかに、ちょっと離れたところに中低層校舎もある。

 

 

 

  交通メモ

 

名古屋商科大学・名古屋キャンパス

 

住所: 名古屋市中区

 

地下鉄伏見駅そば。高層ビル。周りも高層ビル。本物の都心部キャンパスだ。

■名古屋学院大学・名古屋キャンパス(名古屋市熱田区熱田西町)

 

米国メソジスト教会が手掛けたミッション系大学。1887年に宣教師のフレデリック・チャールズ・クラインが設立した愛知英語学校を前身とする。

 

 

内村鑑三が教えていたこともあったそうだ。

 

 

元々は名古屋郊外の瀬戸市にキャンパスがあったのだが、2007年から断続的に名古屋市中心部に新キャンパスを開設。

 

 

留学制度やパソコン教育を整備したりしてリブランディングに取り組んだ結果、入試偏差値は急上昇。押しも押されぬ中堅校となったそうだ。

 

 

現在は瀬戸キャンパスに加え、名古屋キャンパスとして3つの校地を展開してる。

 

 

「しろとり」「ひびの」「たいほう」。

 

 

いずれも地下鉄名港線日比野駅から徒歩圏内で、微妙に離れているが、それなりに近い位置取り。

 

 

いずれもこぎれいな現代建築。なるほど、人気の出そうな都市型大学である。

 

 

3つ合わせると5万平米を超える広さなので、都心部私学としてはなかなかのものだが、やはり3分割されているので、小さな大学が三つある、という塩梅だ。

 

 

 

  交通メモ

 

名古屋学院大学・名古屋キャンパス

 

住所: 名古屋市熱田区熱田西町

 

地下鉄名港線日比の駅から徒歩0分(駅直結)~10分程度の3校舎。本山周辺の名古屋の大学銀座エリアからは離れた南部寄りではあるが、名古屋市中心部に近いと言って嘘ではないだろう。特に「しらとり」は周囲の公共施設敷地や緑豊かな市民公園と一体化しているので、狭さはまったく感じない。

■愛知工業大学・本山/自由が丘キャンパス(名古屋市千種区東山通/自由ヶ丘)

 

愛知工大は三つのキャンパスがあって、メーンは郊外の八草キャンパス。で、市民講座や社会人向け交流施設に使われるのが、都市部の本山キャンパス。経営学部がその隣駅の自由が丘キャンパスだ。

 

本山はまあ、本当に街なか。大学というより、最近できた風のオシャレ図書館みたいな感じ。

 

 

 

 

自由が丘は市街地というよりかは、住宅街。それも、団地・マンションメーンの住宅街。

 

 

その一角に立っている。

 

 

愛知工業大学は名古屋の中堅理系私大の一つ。という紹介で良いだろうか。

 

 

学祖は1866年生まれの後藤喬三郎。名古屋生まれで儒学・漢学を学んだが、文明開化の流れに乗り遅れず、東京に出てドイツ語を学んで明大の語学講師に。

 

1911年には故郷に錦を飾り、名古屋英独語学校を開くが、これからは近代科学の電気革命の時代である!と考え、名古屋電気学講習所を創立。

 

まもなく県知事の認可を得て、私立名古屋電気学校と改称した。

 

で、戦後に大学に昇格し、今日に至るというわけだ。

 

  交通メモ

 

愛知工業大学・本山/自由が丘キャンパス

 

住所: 名古屋市千種区東山通/自由ヶ丘

 

JR名古屋駅は意外に地下鉄との乗り継ぎが良くないのだが、ここの大学は東山線一本で本山に到着。そのまま乗って行けば八草に着くし、本山で名城線に乗り換えれば、自由が丘につく。本山近辺が名古屋都心部の大学銀座、という感じだ。

■番外・岸和田市役所(大阪府)

 

1954年落成。四角いフォルム。三方にみっしり日よけルーバー。

 

 

ルーバーの先端はエッジをメタリックに包み込む。

 

 

何とも「モダニズム」な建物だ。

 

 

通り側から見てもいい。

 

 

裏庭から見ると、より「モダニズム建築」。

 

 

 

歩道橋から見ると、タワーだ。

 

 

 

イイね!

 

入り口の庇は唐破風か?岸和田と言えばだんじり。だんじりの山車と言えば唐破風なのだ。

 

 

設計者不明。

 

 

築60年を経て、耐震性その他の問題から建て替えが決まった。

 

 

が、誰に建て替えさせるかで、もめにもめて先行き不明、らしい。

 

隣接して岸和田城もある。

 

 

こちらも市役所と同じ年に作られた。当初は市民図書館として作られたが、のちに観光資源として改装されたらしい。

 

 

ちなみに岸和田藩の最後の藩主の息子が、朝日新聞社主として名を馳せた村山長挙だ。

 

 

 

  交通メモ

 

岸和田市役所

 

住所: 大阪府岸和田市岸城町

 

なんば駅から南海急行で25分。岸和田駅で下車して徒歩10分。にぎやかなアーケード街。張ってあるポスターの色合いは、明らかに東京とは別の国。眺めて歩くだけでも興味深い。エスカレーターの並びも逆だしね。

明治薬科大学(私立・東京都清瀬市)

 

明治時代に出来た薬学大学だから明治薬科大。わかりやすくシンプルだ。

 

 

 

設立当初は麹町にあったが、関東大震災で校舎が焼けて笹塚に移転。

 

 

さらに広い場所を、と世田谷に引っ越し。

 

 

1998年に、もっと広々とした場所へと、清瀬に移転した。

 

 

確かに広々と、ゆったりしたキャンパスだ。

 

 

設計は久米とか竹中とか。いかにも、な感じだ。

 

 

この大学を語る上で欠かせないのは、創立者の恩田重信だろう。

 

 

なんとこの人、恩田木工の一門に連なるそうで、「一門の双璧」として並び称されていたという。

 

 

恩田木工は、真田幸村で有名な真田家(信州松代藩)の家臣で、17世紀に藩政改革を成功させた。池波正太郎が「真田騒動~恩田木工~」という本を書いている。

 

 

当時の松代藩は、御多分に漏れず財政難で悩んでいたが、恩田の前任者とさらにその前任者が、連続して財政改革に失敗して更迭されていた。

 

 

そんな中で登板した恩田木工、見事、財政再建に成功したというわけだ。

 

とはいっても、やったこと自体は前任者・前前任者と同じ。家臣の給与削減と新規事業開発(特産品奨励)だ。

 

 

じゃあ何が成功のカギかというと、「俺はできる男だよ」感を出しすぎて嫌われたうえ、業者との癒着やえこひいき人事も取りざたされた前任者を反面教師にして、質素倹約慎ましやかにふるまい、腰を低くして藩士との対話に努めて協力を要請。

 

一方で、殿様には全権委任状を出してもらい、藩士全員に「指示に従います」と誓約書を出してもらうなど、締めるところは締めた。

 

 

でまあ恩田一門の末裔、恩田重信は東大医学部製薬別科(実務技術者の速成養成コース)を出て陸軍の薬剤師として勤務した。

 

そこで日本文学界の大物兼日本医学界の大物、なによりも陸軍医学部門のボスであった森鴎外にかわいがられた。

 

で、薬剤師の地位向上のため、理想の薬剤師教育機関を作ろうと思い立ったわけだ。

 

 

 

  交通メモ

 

明治薬科大学

 

住所: 東京都清瀬市野塩

 

池袋駅から西武線で25分、秋津駅で下車。さらに郊外の住宅地の合間を歩いて徒歩15分で到着。二つ隣の東久留米駅に立ち寄って、東久留米市役所に立ち寄るのもおすすめ。

■番外・印西市役所(千葉県印西市大森)

 

日本で一番災害が起きにくいらしい、千葉県印西市の市役所に行ってみた。

 

 

IT各社が次々とデータセンターを建設しており、間もなくグーグルのデータセンターもできるそうだ。

 

 

行ってみての感想は、うーんこりゃ千町村建築研究所だな、こりゃ。

 

 

見るからに千町村スタイル。

 

 

突き出たブロックがピロティで持ち上げられ、ポーチ代わりになっている。

 

ポーチを下から見上げると、赤。

 

 

これまた千町村スタイル。

 

突き出たブロックの中は3階会議室となっている。

 

無駄なくスペースを活用している。

 

隣には文化ホールがある。

 

 

 

山下設計。

 

中から見ると、大変かっこいい。

 

 

 

 

 

2階には空中坪庭が設けられている。

 

 

印西市というと、データセンターだけでなく、千葉ニュータウンの発展ぶりでも有名だ。

 

ただ、千葉ニュータウンは交通至便な通勤路線の京成成田空港線にあるのに対し、市役所はJR成田線という極めてローカルな沿線にある。

 

要注意。

 

 

  交通メモ

 

印西市役所

 

千葉県印西市大森

 

大手町から千代田線で我孫子駅へ。成田線に乗り換え、木下駅で下車。徒歩10分。総計2時間半ちょっと、ぐらいだろうか。隣接自治体の栄町役場も千町村。多古町役場(これも千町村)とそっくりだ。千町村好きなら、ぜひ巡礼に。

■大正大学(豊島区巣鴨)

 

1926年発足。仏教界の総合大学?だ。

 

 

というのも特定宗派の学校ではなく、仏教連合大学構想に浄土宗、天台宗、真言宗豊山派が賛同し、宗教大学、天台宗大学、豊山大学が合併して発足したからだ。

 

 

1944年には真言宗智山派の智山専門学校、2018年に時宗が参画し、四宗五派の連合大学となった。

 

 

ちなみに、ミッション系ならぬシャクソン系大学としては、ここのほかに、曹洞宗の駒沢大、日蓮宗の立正大、西本願寺の龍谷大、東本願寺の大谷大が大手、と言ったところだろう。

 

 

というわけで、昔は僧侶育成大学だったのだが、今では普通の総合大学となっている。

 

 

キャンパスはすごく広いわけではないが、中庭が広めにとってあるため、ぎゅうぎゅう詰めという印象はない。

 

 

一番新しい8号館は、確かになんだかお寺っぽい感じ。

 

 

やはり新築のすがも鴨台観音堂(さざえ堂)は、巣鴨を訪れる高齢者の訪れも盛んだ。

 

 

地域で話題になっている?のは、鴨台食堂(おうだいじきどう)。

 

 

つまり一般開放の学生食堂なのだが、完成当初はプリンスホテルが経営(現在は変更)で、豪華メニューがほどほど価格で楽しめることが売りだ。

 

 

それにしてもプリンス?と最初は思ったが、知人の大学OB(僧侶)によると、戦前は全国から裕福なお寺の二代目が通学する学校で、下宿ではなく「ホテル」に住んで登校するのも珍しくはない、そんな学校だったそうだ。

 

  交通メモ

 

大正大学

 

住所: 豊島区巣鴨

 

地下鉄三田線西巣鴨駅下車、徒歩2分。池袋まで歩いて20分くらい。王子に出てもそんなもの。都営さくらトラム(路面電車)に乗って、ぶらぶら都内散歩も良し。あと、そばの商店街のファイト餃子(ホワイト餃子系列店)もおすすめ。

■鳥取看護大学(鳥取県倉吉市)

 

いろいろな意味で僕に刺さった。評価Aプラス。

 

場所は倉吉。駅から徒歩30分ぐらい。この町には丹下健三設計の市役所やシーザー・ペリの記念館?などたくさんの見どころがある。

 

一日かけて観光する覚悟で挑まれたい。僕は3時間弱の超駆け足ツアーだったけど。

 

まあとにかく、街中を離れて山間に突入したあたりにキャンパスはある。

 

 

 

1971年開学の鳥取短大(最初は女子短大だったけど2001年に共学化)がもともとの母体。

 

2015年に増設みたいな形で看護大が同じキャンパス内に作られた。

 

 

 

こちらが短大エリア。

 

 

 

元が女子短大だっただけはあって建物も中庭もきれいで整っている。

 

 

 

 

こちらが看護大。

 

 

 

斜面に無理に設置した感があるけど、それがむしろ立体感となって校舎の見栄えをいや増している。

 

 

 

ミントカラーが現代的?だが、建物自体は昭和モダニズムな感じだ。つまり悪くない。

 

 

他にも校舎はある。

 

 

 

ここの大学のシンボルはシグナス(星座の白鳥座)なんだけど、これがなかなか渋いデザイン。

 

一方、マスコットキャラクターの「とりたん」は全国からの公募を、鳥取出身の有名漫画家・青山剛昌が選んだもの。

 

そして校歌は作詞作曲共に團伊玖磨。渋すぎる。

 

この人は結構な数の校歌を作っているんだけど、作詞まで手掛けた例はほとんどない。

 

どうして頼んだのか経緯はわからないが、鳥取県民歌「湧き上がる力」を手掛けているので、そのご縁でということなのだろうか。

 

 

 

  交通メモ

 

鳥取看護大学

 

住所: 鳥取県倉吉市福庭

 

JR倉吉駅自体が町はずれに位置しているのだが、そこからさらに山に向かって進む。歩きかタクシーか。バスで行ってもそれほど時間短縮にはならない。見終わったら、街の中心部へ。結構なビッグネームの建物や、白壁土蔵地区が待っている。倉吉鉄道記念館もい感じだ。

■番外・伊奈町役場(埼玉県伊奈町小室)

 

埼玉のニューヨークと呼ばれる大宮シティ。

 

その、さらに北に位置する、人口4万5千人の街の役場だ。

 

 

ブドウやナシが名産の農村だったが、近年は大宮・浦和のベッドタウンとして開発が進んでいる。

 

あと、芋も名産のようだ。

 

 

その町役場は、ざっくり半世紀前に建てられたレトロな庁舎建築。

 

いい意味でB級。たまらん。

 

 

73年完成の北庁舎。

 

 

さらに、83年竣工の東庁舎の2棟構成。

 

 

付け根の部分には、ミニサイズの池。

 

 

鯉や金魚も泳いでいる。

 

近くにある、総合会館もおまけに。

 

 

ところでこの町、江戸時代に関東地方の幕府直轄領約30万石の行政と司法警察を12代200年にわたって世襲で管轄した関東代官・伊奈家の屋敷があったことから、伊那町という名前になった。

 

 

ちなみに伊奈家は1792年に改易され、強大すぎる関東代官の権限は分割された。

 

伊奈家が続いていたら、埼玉県庁は伊那町に置かれていたかもしれない。

 

 

さらにところで、伊奈家は1629年に荒川の治水事業で手柄を立て、歴史に名を残している。

 

それまで関東平野は、毎年のように荒川が氾濫するため、びちゃびちゃの湿地帯だったのだ。

 

そんな伊奈家は、実はもともと、「荒川」という苗字だった。

 

 

え?じゃあ、関東出身の荒川さんが荒川を…?

 

と、言えれば面白いのだが、それは話ができすぎだ。

 

 

伊奈家のルーツは、三河国の荒川城(愛知県西尾市付近)の城主だった荒川さん。

 

現在もちょっと離れたあたりに、「西尾市下矢田町荒川」という住所があるので、関係しているのかもしれない。

 

 

で、その荒川一族、室町時代に足利将軍から信州伊奈に領地をもらった。それで、名字を伊奈に変更した。

 

だが、その子孫が一族内のトラブルで伊奈を追い出され、再び三河に移住。

 

 

徳川家康の父親、松平広忠の家臣になったという。

 

  交通メモ

 

伊奈町役場

 

場所: 埼玉県伊奈町小室

 

JR東京駅から宇都宮線で20分ちょい、大宮駅へ。新都市交通システム「ニューシャトル」に乗って約20分、志久駅で下車。徒歩15分で到着。せっかくここまで来たなら、日本薬科大を見に行くのもおすすめ。あとは大宮に出て一息ついて、でしょうか。