数多い指揮者の中で、とんでもないカリスマ性を備えた指揮者といえばヘルベルト・フォン・カラヤンとレナード・バーンスタインがまず筆頭に挙げられるだろう(フルトヴェングラーとかトスカニーニのようなちょっと昔の大巨匠は置いといて)。
だがカリスマ性という言葉がより一層ピタッとハマるのがカルロス・クライバーだろう。
カラヤンは「彼は天才」と評しているし、バーンスタインも彼の振るプッチーニ「ラ・ボエーム」の演奏を「これ以上はない」と手放しに絶賛した。
何せ他の指揮者とはひと味もふた味も違う。
まず演奏会が少ない上に、それに比例したレコーディングの少なさ。
「オレ、振りたい時しか振らないヨ」といった具合で、演奏会のキャンセルは日常茶飯事。
意に沿わないと分かった仕事はレコーディング途中であっても中途放棄したツワモノである。だからセッションで無事にレコーディングを終えたのはドイツ・グラモフォンでの9曲の録音だけ。しかもその約半分はオペラだった。あとはソニーから出た「ニューイヤー・コンサート」とかオルフェオの名盤「ベートーヴェン/第4番」などがあるもののほとんどがライヴ録音で、それらを合わしても公式発表されているディスコグラフィとしては映像作品も含め21種しかない。それゆえブートレッグが多く出回り、ファンはそれに群がった。
そして1993年のウィーン・フィルの定期演奏会で録られた「モーツァルト/第33番」と「R.シュトラウス/英雄の生涯」がカップリングで緊急発売されるというニュースにファンは狂喜した。
何せ「英雄の生涯」は新しいレパートリーである。さぞかし疾走感あふれるイケイケの演奏に違いないと多くのファンは想像をたくましくしつつ発売を待った。
しかし、というかやはり不測の事態は訪れた。
まさかの発売中止。
「レコード芸術」誌で発売日が正式に掲載されCD番号まで決定していたのに、である。
ファンは落胆しつつも「ありえる話」と妙に納得した(笑)
だが事の真相は、コンサートマスターのライナー・キュッヒルが「英雄の生涯」の自身のヴァイオリン・ソロが気に入らなかったので、別の日のテイクで編集してほしいとソニーに頼んだ事に端を発する。これに対し、この演奏に満足してOKを出したカルロスは激怒、発売が中止になったという経緯である。
1994年6月28日にカルロスはベルリン・フィルの指揮台に立った。
開演前に天井からぶらさがったマイクを見て、撤去するよう指示するも、客席の聴衆によりその演奏会の模様は録音された。
カルロスの意に反する録音ではあるが、これが何ともブッ飛びの演奏なのだ。
・ベートーヴェン:「コリオラン」序曲
・モーツァルト:交響曲33番
・ブラームス:交響曲4番
中でもブラームスはこの作品の演奏史上でも類を見ない超爆演!
全体的にもかなりアグレッシヴなのだが、ティンパニ協奏曲かと思わせるほどティンパニが轟音を響かせる異常な演奏なのだ。
録った聴衆はおそらくティンパニの近くにいたのかも知れないが、モノラルながらも臨場感たっぷり。これはイタリアのMemoriesからCDが出ている。
カルロスは1974年から1994年までに5回来日している。
しかし、そのうち4回は歌劇場の引越し公演で、オーケストラ・コンサートは1986年のバイエルン国立管弦楽団とのたったの1回きりなのである。
僕は幸運にもその演奏会のチケットを手に入れる事ができた。
1986年5月15日 大阪フェスティバルホール
しかもオーケストラはウィーン・フィルだ。
これもラッキーな事にチケットをゲットする事ができた。
だがここでついにカルロスに裏切られる。
キャンセルで来日せず、である。
当日、演奏会場に着くまでそれを知らなかった僕は会場の告知板を見て愕然とした。
代役はジュゼッペ・シノーポリ。
プログラムも大幅に変更されていた。
1992年3月5日 大阪フェスティバルホール
R.シュトラウス/交響詩「ドン・ファン」
マーラー/交響曲第1番ニ長調「巨人」
シノーポリでも全然いいのだが、やはりカルロス目当てで買ったチケットだし、気持ちの切り替えにちょっと時間がかかった。
あ~、ついにやられた!って感じ。
何かとお騒がせな人だが、「カルロスならまぁ仕方ないか」と皆に思わせる不思議な魅力を持った指揮者なのである。
2004年に惜しくもこの世を去ったが、それ以降、彼のようなとんでもないカリスマ性を持った指揮者は未だに全く現れない