普通、子供の時の記憶って、どれくらい残ってるもんなんだろうか?


私は断片的にではあるが、2歳より前くらいからの記憶が残っている。


実家は、当時は木の小屋みたいな集合住宅だった。同じデザインの家が6棟くらい。
たぶん今考えたら、六畳と四畳半の2Kのアパートの広さ。ボットン便所。戸建て住宅なのに共同風呂。(昔の田舎にはあったよね)

もう、外観は茶色。板。果てしなく木。瓦とかない。トタンと板。
隙間からツタとか入ってくる。隙間から外見える。ノラ猫さんが、ふすま突き破って突入してくる。ネズミの子がタンスの中で産まれてる、しっぽ咥えて連なって進んでいく。特大の虫がワラワラ出る。そんな家。

天井は蜘蛛の巣だらけ、襖やポスターはタバコのヤニでエグい色。
サスペンスドラマで凶器になるような、デカいクリスタル灰皿に、山盛りのタバコの吸い殻。

油汚れが、何十年も掃除してない古い厨房かのごとく層になったコンロがあり、特大のネズミが出る、何が置いてあるのか分からない、足の踏み場のない台所。


虫歯で穴だらけの真っ黒な歯の私。歯磨きを親にしてもらったことはない。
あと小児喘息とやらで、保育園の年齢からしょっちゅう入院してた。なんなら赤ちゃんの時から原因不明の病気で入院してたらしいが。

ただ、すぐ病院に連れて行ってもらってたわけではなく。

咳が煩いと怒鳴られ、叩かれ、それでも我慢できずに咳が出てしまう。
両親共にへビースモーカーだった。咳をしてても、タバコを消してはくれない。

そのうち、胸からバリバリ、みたいな変な呼吸音がし出すと、ようやく病院。

レントゲンで肺が真っ白、即入院。
病院の先生が何か言っても、ヘラヘラしてるか、必死に看病してる親を装っていた。

今でも母親の中では、美談になっている。
あんたは体が弱かったから、何度も夜中に抱きかかえて病院に走ったのよ。

言われなくても覚えてる。何日か喘息状態で家で過ごしてたら、夜中に突然鼻血が大量に吹き出したから、びっくりしてやっと連れてったんだったよね。

何日も点滴は挿しっぱなしだった。血管が細くて、刺し直せない。少食で回復も遅かった。病院の夜は怖かったがすぐに慣れた。点滴を押して歩くのも、うまいもんだった。
病院から保育園が見えていた。みんなはプールに入ってる時期でも、いつも入院か見学。

まぁでも、保育園は楽しくなかった。友達はみんなワガママに見えていたし、主張が強い子ばっかりだし、声もうるさい。先生は怖かった。お昼寝中にトイレに行ったら叩くし。お漏らしして布団を汚した子は怒られないのに。

私は、子供らしくなかったのだろう。可愛い子ではなかったのだろう。大人を慕って、甘える子ではなかった。


ていうか、喘息ていうより、親のタバコが原因やろ。
まぁ昔は、タバコが害なんて責められる時代じゃなかったけど。
小学生の頃からタバコ買いに行かされてたし。


でも、子供だし、その世界しか知らなかったから、そんな生活も、全部普通だと思ってたし、親も好きだった。特に母親は絶対だ。


ただ、初めて紐で首を吊ろうとしたり、軽いリストカットしたのは、小学校低学年だった。

当時は、自分の行動の意味は分からなかったが。

ただ毎日が不安で苦しくて怖くて

お母さんの機嫌を損ねないことが全てだった。

自分の親が普通の親と違うなんて、わりと大人になるまで…いや気付いてた。
ただ、認めたくなかっただけだ。
親を責めたくなかった。