完璧に 利他的にも

完璧に 利己的にも

成れないんだなと気付いたとき

 

肩の荷が下りた

 

ああ

これからは何を選んでもいいような気がする

 

いやきっと

今迄だって何を選んでも良かったんだ

 

成らなくていいよと

私は私に言ってあげられた

 

私が良いことと思って疑わなかった

あれやこれは

 

疑って自問自答する価値が十分にあった

 

自分の心に聞く とか

自分に問うてみる とか

本当の私はどうしたい? とか

 

この類の文は

私にとって抽象的過ぎて

実際 何をどうやればいいのかわからなかった

 

今この瞬間 何をすれば自分は心地よいか を考えていいんだよ  とか

今何が不快か じっくり自分で考えていいんだよ 自分のために とか

 

私は何をしている時 一番熱中しているか とか

ぼーっとしてるとき 頭に浮かぶ風景で 心地いいものはなにかな とか

もし、何々があれば こうしたい もし何々だったら ああしたい って 本当にその何々がないとできないことなのかな とか

 

どんな服を身にまとってるときが 身体的に心地よいか 精神的に心地よいか とか

 

自分が無意識に選んでる→脳が自動モードにしている

 

つまりできるだけエネルギーを使わなくていいように

無意識に 習慣に 落とし込んでしまってるものを

見直す

 

それは本当に自分の活動能力が上がるものなのか

活動能力が下がってやしないか

 

さらに

この組み合わせは 私の活動能力を最大限高めてくれる組み合わせだろうか

 

無意識を

洗い出すのって

いつもの流れをぶち壊して 揺さぶってみる必要がある と思う

 

いつもこの仕事を処理すのには これだけの時間と この道具と この場所 が必要だと

思っていたとする

 

でも

 

ある日 その条件が そろわない 状況下で同じ仕事をしなければならないとする

 

案外必要と思っていた時間を大幅に短縮して終わらせたなとか

 

案外いつものやつじゃなくて前に勧められていたこの道具って自分に合ってるのかもとか

 

誰もいない場所のほうが集中できるに違いないと思ってたけど人の目があった方がさらに真剣に取り組めてるかもとか

 

一度

 

常識とか普通とか

これが良いとかこれが良くないとか

 

自分で勝手に思ってることを

手放すと

 

新鮮な空気が流れるかも

 

普通とか変わらないものを求めてしまいがちで

 

それ は自分の活動能力を下げるもの

なのだと

薄々気づいていても、、、

 

変化を拒んでしまう

 

良い変化に結び付くことが容易に計算できたとしても

 

変化に飛び込めない

 

不確かなこと

目に見えないこと

予測できないこと

って不安なんだよね

 

不安っていつまでたってもなくならない

ってことに気付けたら

 

不安に対して違うアプローチをかけられる

 

みんないつか死ぬ

ってことが理解できたら

じゃあ どう生きるか

に考え方がシフトするように

 

不安はなくならない 

 

じゃあ不安とどう付き合っていくか

 

って変えていく

 

取り除けそうな不安は全力で取り除くことをしたいけど

 

考えても仕方ない系の不安と

考えて答えも割とすぐ出て 今 何か行動できそうな不安とを

 

まずは分けてみて

 

考えても仕方ない系だけど

やっぱついつい考えちゃうーーーー

 

ってときは

その考えにせめて 

 

飲み込まれないように

 

あーあーあー

私また答えでない系のこと考えてるよーー

よしよし

わかった。考えたいなら

今から5分間全力で答えでない系のそれを

考えな 答え出ないけど

 

って考えていい代わりに時間を設定して

答えでない系の不安と付き合ってる

 

答え出ないけどね (笑)

 

でもこれって

答えが欲しいってわけじゃなくて

 

考えていないと不安

って割合の方が多くて

 

突き詰めて考えるとますます

答え出ないんなら、、ましてや答えが欲しくないんなら、、(笑)

 

って何してんだろってなってくるけど

 

そんな自分も愛おしいなって ☆☆彡