義父 | 猫より眠たがり

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出張の備忘録と、出張先での安泰な生活ぶりを日本に伝える緊張感のないブログです。
仕事仲間にばれないように、記事はアメーバ限定公開。
帰国中は記事の更新は行いませんぞ。(キッパリ)

2024年。娘の七回忌を迎え、息子が入籍したこの年の6月12日、義父が他界した。

義父は数年前から週2回のデイサービスを除いてベッドで過ごす時間が増えていて、訪問看護やデイケアの支援を受けていた。今年4月末にデイサービス中に体調不良となり早引けして帰宅、訪問介護でお世話になっているお医者さんによれば脱水症状とのことで、食欲もなかったために細い血管に点滴をして貰った。

その後、私の奥さんは実父が好んで食べてくれそうなメニューを考えてはベッドで横になった状態でも食べやすいようにと工夫して、それを一口でも食して貰えたと喜ぶ日が続いた。私も一度だけ義父の食事の買い出しを頼まれたことがあり、昔、大粒の苺を好んでいたことを思い出し、スーパーに並んでいた苺の中で一番大粒のパックを選んだ。息子が暮らす福岡県産の「あまおう」。奥さんから「食べて貰えた」と聞いて奮発して良かったと喜んだ。あまおうを介して息子のパワーも受け取って貰えた気がした。

 

やがて5月10日、義父は89歳の誕生日を迎えた。その前の数日間の体調は小康状態が続いており、この日から私は2ヶ月間の海外出張に出るのだけれど、何も変わりなく帰国するまで時間が過ぎるような気すらしていた。それでも、朝、羽田への空港バスが出るバス停まで奥さんに送って貰い、車を降りる際に奥さんに掛ける言葉が見つからず、センターコンソールのセレクトレバー上にあった奥さんの左手に自分の右手を被せ、何の気休めにもならない言葉を発したと思う。

 

出張先に到着してから1ヶ月が過ぎ、出張も折り返しを過ぎた矢先の6月12日の朝、目を覚ましてスマホをみると奥さんからのラインメッセージで義父の訃報が届いていた。短い一行だった。奥さんに電話すると、昨日から喉に痰が絡むなど不調であり、朝に様子を見に行って異変に気付いたとのこと。5月に体調を崩したあとに見せた小康状態は、娘たちに覚悟する時間を授けるための頑張りだったのかなと思った。そしてその思いに応えるように、私の奥さんと義姉さんは喪主となる義母に代わり葬儀の段取りを次々と進めていた。

 

一般論として全国的に火葬場が混んでいて火葬の予約が葬儀日程の決定要素になると聞いていたけど、奥さん曰く、義父の葬儀ではお寺さんとのお話が優先であり、通夜が6月19日、告別式が6月20日に決まったらしい。いずれにせよ直ぐには葬儀が執り行われないことを聞き、ここから暫く私は「帰国するか否か」、「帰国できるか否か」の葛藤が続いた。今回の出張は当初4月中旬に日本を発つ予定であったものが5月発にずれ込み、また7月には外せない用事があり帰国必至ゆえに予定の融通が難しく、出張前、奥さんも義姉さんも、「その時が来ても無理して帰国する必要は無い」と言ってくれていた。とはいえ、今から帰国便を探すことも時間的には不可能ではなさそう。葬儀の数日間だけ私用帰国して直ぐに帰任するか(カリブ海と太平洋を渡るは体力が持つ?)、或いは今回は出張間短縮として切り上げ、7月以降に掛けるか(挽回できる?)。

煮え切らない私へのLine電話での奥さんの助言はいつも「帰国してから手を合わせてくれれば良い。」だった。

葬儀の準備は奥さんと義姉さんが進めている。葬儀には福岡から息子夫婦が駆けつけてくれる。予定どおり出張を終えれば49日法要を優先して次の出張をアレンジできる、云々と自らを納得させて、義父には帰国してから手を合わせることにした。

 

それでも日本から届いた葬儀の様子の写真を見ると、そこに自分が居ないことに義父への義理を欠いたなと感じる。

奥さんと結婚してから30年経つもので、実父よりも同じ時間を過ごしていることになる。

自分が若かれし頃に、よく晩酌をご馳走になっていたのを思い出す。

海外の仕事を生業としているのでこういった境遇も覚悟していた筈が、実際にこの場面に出くわすと寂しいものです。

帰ったら手を合わせます。事故のないように帰らないと。