前回の続き
景区に入り
炎天下のなかふらふらになりながら
歩くこと30分
ついに
キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!
歴史好きキングダム好きはもちろん
函谷関かんこくかんという
場所があるのは
日本人も周知の事と思います
春秋戦国時代のみならず
数々の争い事が繰り広げられ
要所として知られてきた場所
中国で最も歴史ある関所として有名
小耳に挟んでいたが‥
ちっちゃいなぁ‥‥
だって
容易くは乗り越えられない場所
それが
函谷関なのだから
函谷関に張り付いてみたけれど
というのも
本当の函谷関は消失してしまい
この函谷関は現代に再建されたもの
しかしながら
なんで
小さくしてしまったのか‥
てか、そもそもそんなに大きくないとか!?
その時代は普通の男でも1mくらいとか?
もし古代のまま現存していたら
世界遺産のひとつにでも
なっていたのかもしれません
しかし
やっぱり函谷関に来てみると
ワクワクが止まりません
物見やぐら的な場所とか
なかなか開かなかった国門とか
上にあがって
情緒を醸し出しています
やぐらのてっぺんまで行けるが
階段が所々壊れていてぐらぐらなのです
邦人、函谷関から落下
とか
函谷関を壊して邦人を拘束
とか
恐怖の展開が頭によぎる
ちょっとだけキングダムごっこ
再現してみた
をかぶって
下には無料の資料室みたいなものがあり
函谷関の歴史を知ることができます
お!あります
紀元前241年に趙の龐煖は
趙、燕、楚、韓、魏の5カ国の軍を
ひきつれて秦を攻めた
函谷関攻めに難航し
黄河を渡り、蕞に攻めた
ことも書いてある
そっか
函谷関の戦い(蕞の戦いまで)は
龐煖ほうけん が総大将的な感じだったか
なんとなくだけれど
キングダムの龐煖のような
野性味溢れる武神
な感じではなくて
合従軍を統率できる器のある
普通に正統派の将軍だったのかな?
という気がします
函谷関に行ってみて
思いを馳せてみると
あの武将は実はこんな感じじゃないのかな
とか
自分なりの想像が生まれ
また違う観点から見ることができて
一層キングダムが面白いじゃないか!
と思ってしまった
てか
史記をじっくり読みたい
中国語の史記、チャレンジしてみるかな
再建されたものとはいえ
この辺りを舞台に
歴史上の闘いが繰り広げられたのは
まぎれもない事実
その場所に来ることができた
もうそれだけで感無量です
函谷関で戦いが行われていた頃
日本は弥生時代
そう思うと
大昔中国は日本よりはるかに
進んでいたのですよね‥
函谷関の裏側は森になっていて
という
古代からある道があるらしいのですが
体力の限界につき
行きませんでした
何はともあれ
夢が叶いました✳︎
中国に住んでいなかったら
多分行かないし行けない気がする
ただ行く時期は
見誤った気がする‥夏はダメですわ
そのまま同じタクシーで帰りました
もうちょい値切れた気もするが
往復運転約1時間半&待ち時間約2時間
計3時間半も拘束し
しかもクーラーの効いた車内ではなく
何にもない場所で
外で待っていたようで
なんだか
150元くらいで
申し訳ない気もした(´・ω・`)
優しいぼったくり
高鉄までの時間が余ったから
黄河に寄ってもらおうかと思ったが
もう暑さでおかしくなりそう
だったので
時間改变して
とっとと3本前の電車で
西安に戻りました
結局なんだかんだ
待ち時間等入れたら
西安から往復6-7時間はかかりましたが
全て車移動よりは
気分的に楽かな?
と思います
函谷関、行ってよかった!
これにて
ざっくり
キングダムいちファンによる
キングダム聖地巡礼は終了
長々とすみませんでした
そして、、番外編もあります| 壁 |д・)