紀伊國一之宮

丹生都比売(にうつひめ)神社

 

和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230番地

 

おととい初参拝させていただきました。

 

岡山~新大阪~なんば~橋本~笠田(かせだ)下車。

 

剣神様のいらっしゃる石上布都魂神社を

13年前に参拝してから突如神社にはまってしまったのですが、

 

その時から始めた一之宮の御朱印蒐集も

7年前の若狭彦神社で止まったままでした。

 

それまでは『全国一の宮めぐり』の本を

何度も何度も開いては次はどこへ行こう~♪

とアクセスなどを調べるだけでワクワクしていました。

 

丹生都比売神社はずっと訪れたいと思いながら

すごく山の奥なので日帰りでは難しいと感じて、

いつの間にか諦めて忘れていたのです。

 

(他の紀伊國一之宮・・

日前(ひのさき)神宮・國懸(くにかかす)神宮、

伊太祁曽(いたきそ)神社は10年前に参拝しています)

 

 

 

 

白峯山の「西行法師のみち」のコメントで

嵐雪さんが

西行の入寂の地が弘川寺で

観心寺とはイヤミなほど近いですよと教えて下さって、調べてみました。

 

地図をいろいろ見ていると、

丹生都比売神社が目に留まり速攻で行くことに決めました。

 

 

<(_ _)>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

茅の輪がしつらえてあり、くぐらせていただきました。

 

 

 

 

御賽銭を入れ、

御神酒(「きびの吟風」)の蓋をとって御供えし、自己紹介と御挨拶を申し上げました。

 

人がぽつぽつとですが途切れることなくお参りされていて、祝詞奏上は場所を変えることにしました。

 

拝殿の左へ進むと、地元のお社を合祀した摂社がありました。

<(_ _)>

 

 

 

拝殿の後ろには、四社並んだ御本殿があります。

(これより先へは入れません)

 

 

せせらぎを渡り、

へび出没注意の看板の前を通り

 

奥へと進みました。

 

 

この一帯はなんだかとてもこころ惹かれました。

 

右に立ち並ぶ大峯修験者の石造りの碑、

真ん中の大きな碑は、光明真言曼荼羅碑。

左の石厨子には葛城修験の御本尊として

役行者の石像が安置されているそうです。

 

 

 

 

せせらぎの傍らに立ち

お社の方へ向き

祓詞~清祓~前言~神言~素戔嗚尊様詞~龍神祝詞を唱えました。

 

 

 

そのあと社務所で7年ぶりに一之宮の御朱印をいただきました。

令和になって初めての御朱印です(^O^)/

 

御朱印帳を持参するのも7年ぶりでした。

(*´ω`)

 

新作能「空海」のポスターが貼ってありました。

 

 

 

社殿むかって右の方から写しました。

 

 

ぼつぼつおいとまいたします。

 

 

 

入ってくるときは右の道を通りましたが、

帰りは「輪橋」(淀殿より奉納されたものだそうです)を渡りました。

通行可なので、皆さん渡っておられました。

 

 

橋の横にある御池、真ん中に浮かぶ

小さなお社も青草に囲まれて風情がありました。

 

 

輪橋の上から撮らせていただきました。

 

 

同じく上から写したものを少し大きくしました。

 

帰りはコミュニティバスで笠田(かせだ)駅へ。

ホームから見た高野山方面。

とんがった御山がそうだと思います。

 

 

 

行きはバスの時間までだいぶあったのでタクシーで行きました。

・・金剛峯寺は、高野山は丹生都比売神様からお預かりした土地だから商売などみだりに許可しないし、もちろん売ったりしないのだという旨の話を運転手さんが教えてくださいました。

(*´ω`)

とても嬉しいお話でした。

 

 

 

 

帰りの車中、観光案内を見ていてエッと思わず声が出ました。

①の「西行堂」です。

西行が出家したあと、高野山にいることを知って

妻子が西行を慕ってこの地に移り住んでいたのだそうです。

 

奥さんも出家され、養子に出していた娘も出家して京から来たそうです。

 

西行は高野山に30年くらいいたので、京へ行く時などにこの天野の地で妻子と過ごしていたと伝わるそうです。

 

妻子はここで亡くなり、そのお墓もあり、いまでもお花などが手向けられているとのこと。

 

西行様って、西行様って、いったい??

 

どれほどの魅力のある方なのでしょう。

 

 

そして西行様は、

空海様を尊崇敬愛し慕っていらっしゃったのだとつくづく思いました。

 

 

********
 

 

新作能「空海」。

 

 

 

~空海が唐の恵果和尚から受け継いだ密教の教えは、全ての人が本来持っている仏性に目覚め、曼荼羅に象徴されるように、排除ではなく共生を大切にする教えでした。~

 

 

********
 

 

 

 

~高野山麓の標高450mに広がる天野盆地に1700年以上前に創建されました。

 

応神天皇の寄進により、紀伊山地北西部の一帯を神領とし、霊地高野山も含まれていました。

 

1200年前、真言密教の根本道場の地を求める弘法大師の前に、丹生都比売大神の御子神である高野御子大神が白と黒の犬を連れた狩人に化身して現れました。

この白と黒の御神犬が、弘法大師を高野山へと導きます。

 

丹生都比売大神より神領の高野山を授けられた弘法大師は、大神を高野山の総鎮守として崇敬し、その壇上伽藍に於いてもお祀りしました。

 

高野山の参詣の際には、はじめに当社を参拝するのが、高野山開山以来のしきたりです。~

 

 

(;´・ω・)初めて知りました。。

以前、先に高野山へ参詣しておりました・・・・

申し訳ございません。

 

 

神社では縁起に基づき、紀州犬の御神犬(白犬と黒犬)を二頭、数年前から置かれています。

神事のある時などに愛らしい姿を見られるそうです。

(運動量が必要なので散歩が大変で、平時は専門家の方のおうちにいるそうです)

 

 

 

丹生都大神界、

金山姫命神様、イチキシマ姫命神様、

金山彦命神様、

ムカデ軍団様の

 

益々の御開運と御繁栄を心よりお祈り申し上げます。

<(_ _)>

 

 

参拝をさせていただいて、本当にありがとうございました。

 

とっても清らかなお宮でした。

 

標高400mとは思えないほど天が近いと感じ、

周囲も調和がとれた、落ち着いた清々しい山里でした。

(*´ω`)