白峯寺の山門前に
「西行法師のみち」の説明がありました。
~「思ひやれ 都はるかに沖つ波
立ちへだてたる心細さを」
このお歌は保元の乱に敗れ遠く讃岐の国
松山の地に配流され再び都に許されることなく
無念のご生涯をこの地に閉じられた
崇徳上皇の辞世のお歌である。
上皇が亡くなられて間もなく
はるばるこの地松山に杖を引きその亡魂を
お慰め申し上げたのが今に歌聖とうたわれる
西行法師円位である。
「よしや君 昔の玉の床とても
かからん後は何にかはせん」
この歌は西行が上皇のご霊前に捧げた
鎮魂絶唱の歌として今に広く知られる歌である。
この坂を約100米降りると御陵階段下に達するが
道は更に山裾の青海神社へと延びている。
この道がかつて西行が登坂した鎮魂の道、
「西行法師のみち」といわれる御陵への旧参道である。
この旧参道に八十八基の歌碑が立ち並び
当時上皇が詠まれたお歌や西行らが詠んだ
数々の上皇を慕う痛恨の歌が刻まれている。~
<(_ _)>
白峰山で荼毘に付された時に
煙がふもとにたなびいてとどまったので
近隣の神社の神官が神社を造営したのが青海神社。
別名を煙の宮という。
近くに住む方は、神社について
「親しみを込めて上皇様、上皇様といっている」
とくだんの紀行文に書いてありました。
立派な新しい鳥居をさいごにくぐって出ました。
白峯寺の住職さんも、それでも崇徳院を
「この地域では守り神としておまつりしているのです」と話されています。
高屋のバス停を降りて歩き始めて
二時間後の、お昼ちょうどのバスに乗ることができました。
とてもとても大変だったけれど、自分の足で登って行ってほんとうに良かったです。
ありがとうございました。
<(_ _)>