前の記事ではこれからの時代のひとつの具体的方法論は呈示できていても、根源的な決定的な何かが足りない、という隔靴掻痒のもどかしさが実はずっとあります。

 

ひとことで言って、すっきりしない。。

 

「くいしんぼうの修行」の名のもとにその、根源的な普遍的な「なにか」を探し求めて来ました。

たぶん今までの逍遥、邂逅で駒は全部出そろっており、そこからどう引き出すかだと思うのですが、それが難しい!

 

「エウレーカ!!」と叫ぶときは来るのかしら・・・

 

去年の新聞に掲載されていた、岡山県奈義町の広告です。

奈義町は中国山地の山ふところにあり、豊かな黒土でおいしい農産物の収穫できるところです。

この絵は里芋を擬人化した、さと丸くんというキャラクター。

 

この絵を見た時すぐに思い出したのが、いわゆる遮光器土偶と呼ばれているこちらの土偶。

里芋の精霊を表現したもの。

 

人間は食べなければ生きていけない。

生きるには他の動植物や発酵をつかさどる微生物などあらゆる命をいただかなければならない。

 

「いただきます」は「あなたの命をわたしの命にかえさせていただきます」というこだと、どれだけの人間が知っているだろう。

 

 

〈食とアニミズム〉を提唱する玉利康延さんはこう仰っています。

「食事とは常にアニミズムの精霊と食べる我々とのやりとりであり、日々の食事は神事なのだ」

 

「味噌醤油日本酒を代表とする昨今流行の発酵食品についても、土地土地の味がする食べ物の代表格である。ニホンコウジカビがどのような環境で醸されたか。どのような山と海があり、どのような風が吹き、どのような水が湧き出てくるかで、まるで違った味になってくる。麹菌は最初、目に見えることがないが、となりのトトロに出てくる『まっくろくろすけ』や、もののけ姫に登場する『コダマ』を想像すると良い。あのような造形をした八百万の神々がそこらじゅうにいて、それらが発酵した食べ物として変容したものを体に取り込んだ瞬間、切り離された身体と精神が接続されるのである。」

 

「これはなにも日本食に限った話ではない。~中略~その土地の人々がその時代時代で信じる宗教・信仰がどのようなものであるにせよ、人間の心理の最も深い部分で食というものは本来、常に『自然への信仰=アニミズム』に強く結びついているはずなのだ。」

 

玉利さんのサイトの中で紹介されている、梅原猛さんの『アニミズム再考(1989年)』の要約の一部も紹介させていただきます。

「キリスト教は自然現象が神として崇拝されることを好まず、一切のアニミズムを否定する。人間のみが、神と同じ姿を持ち、他の動物に優越する。人間重視。こういう宗教の構造は、農耕牧畜社会が生み出した。牧畜は人間の動物に対する支配であり、農耕は人間の植物に対する支配である。」

 

 

嵐雪さんは、今回の御宝御帰還に伴って、キリスト教関連の残渣も一掃された、と記事かコメントに書いていらっしゃったので、上記の、人間が至上の存在で動植物・自然を支配する、できるとの教義も空中分解、雲散霧消したのだと思います。

 

 

「命の循環」とは。

 

 

きのう口から発された言葉「自分の外にすべてがあり、自分の中にすべてがある」。

 

自然界は(生物は)多様な方が安定します。

少なくなると脆弱で不安定になります。

 

熊や鹿や猪を、害獣といい、駆除という、かわいそうというのではなく、自分が撃たれるような、捌かれるような痛みを感じます。

魚にしても、釣り上げられる時は針が口に刺さって痛いと感じます。

木が切り倒される時も、とても痛い。

土や川がアスファルトやコンクリートで埋められる時、地中にいる生きものたちはなんて苦しいだろうと思う。

 

わたしには為すすべもなく、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と唱えることしかできない。

 

この感覚が、根本的な解決には全くならない浅いものだとわかっていても、一度はこうして述懐したかった。

 

人間は食べなければ生きていけない体の仕組み。

動植物も微生物もまたなにかを食べなければ生きていけない。

 

 

野菜も貝ももとは命あるもの、精霊が宿るもの。

縄文の人々はその精霊たちに祈りと感謝を捧げていたけれど、農耕が始まって実りは支配、操作できるものとなり、どんどん忘れられていった。

 

劣化した土や海からとれたものを工業的に加工した、精霊が宿らない食べ物を口にしていては人間の務めは果たせない。と思う。

 

 

土の中にもこんなに美しい世界が広がっている。

 

 

少しまえの記事コメントで書いた、「牛の食んだマメ科の草の味がする牛乳」です。

牛乳好きでいろいろな牛乳を飲んで来ましたが、唯一、香ばしい草の味がした牛乳です。

 

 

 

 

アニマルウェルフェアという言葉がなかった時代から、牛たちにとって最善の環境を整え、おいしい牛乳をつくってこられました。

 

人間にとって安全、おいしいに結果的に繋がっています。

 

幸せな牛ということが、飲めばわかります。

 

この牛乳パックには、ガンジーさんの名言が書かれています。

(*´ω`)

 

こちらはつい最近デパ地下で見つけて買ったたまごです。

恋した鶏のたまご(*´▽`*)

 

“岩手のさわやかな風が吹く高原でオスとメスが一緒に走り回るストレスフリーのたまごです。

鶏の健康を第一に考え飼育しております。

山々の澄んだ空気・水・土壌のもと、まさに昔ながらの環境で育った鶏のたまご”

 

 

二個でオムレツにしていただきました。

恋した鶏の幸せなたまご、わたしの体にも幸せが入って満ちました。

 

 

前に読んで、見えない世界のことをわかりやすく表現してあって凄いと思った本。

その中に、

「地球上のすべてのものは大いなる存在という根源と皆つながっている、そのつながりを忘れそれぞれが分離していると思い込んでしまっている」

という内容の箇所があります。

 

このことは真理かスピリチュアルかわかりませんが、

 

人間だけが勝り幸せになろうとするのは不可で、食べ物となる他のいきもの(ひいては自然)が幸せであれば、その命をいただく人間にも幸せが転写されるのではないかと、思います。

 

多様な生きものがいてこその豊かな地球、人間に特化して自然を地球をカスタマイズしていないでしょうか。

 

 

思いの丈をさいごまで読んでいただいてありがとうございました。

<(_ _)>